》と同様な、陰惨なものであったろう。
「さあさあ……」
 鷲尾老人は、なかなかの上機嫌らしく、そこに散らばっている変圧器《トランス》や真空管《ヴァキューム》などを片づけると、僅かな席をつくってくれた。

     白金神経の女

「へーえ」
 しばらく、この奇妙な地下の研究室を見廻していた私は
「一体、何を研究されているんですか……」
「電気じゃよ、しかもわし[#「わし」に傍点]のは機械を相手とする電気ではなくて人間を対象とする、つまり恋愛電気学を完成しようと思っての」
「ですけど……、どうも人間と電気とを一緒にするのがハッキリ飲込めないんですが……」
「まあ、最初は無理ないさ。しかし君、以心伝心という現象を知っとるかね、つまりこちらの思うことが、言葉を使わずに、直接先方に伝えられる――この現象をなんといって説明するかね、一寸六ヶ敷いじゃろう。……これは電気学的に説明が出来るんじゃ、感応作用、相互誘導作用、じゃよ――、つまり考える、ということによって脳に一種の電流が生じる、これに感応して相手の脳髄に電流が誘起されるのが以心伝心という現象なんじゃ。しかしこれも感度のいい頭の奴と悪い奴があることは機械と同様、又同じ者でも空中状態によって相当なる差も出来るもんじゃがね」
「すると、ものを考えるというと脳に電流が起るんですか」
「そうじゃ、その電流が神経という導線を伝わって手や足に刺戟を与える、すると運動を起す、ということになるんじゃよ」
「しかし……」
「ウソだ、というのかね。よろしい、それならば君に、君の知っている実例を示して話そう――あの木美子を知っとるじゃろう」
「一寸、見たきりで」
「それでいい、木美子は元々左きき[#「きき」に傍点]ではなかった。それが、こんなことになったのはこういう事情があるんじゃ。木美子はわし[#「わし」に傍点]の娘ではない、震災で両親を失った孤児じゃ、しかもその時たった二つか三つだった木美子は、可哀そうに潰れた家の下敷になって柔かい両腕を折られてしまったのじゃよ」
「じゃ、あの、義手で……」
「違う! 黙っとれ!――しかし幸いなことに命だけは助かって、わし[#「わし」に傍点]が救い出し、丁度救護に当っていた外科の名手、畔柳《くろやなぎ》博士に診てもらったが、残念なことには両腕とも運動神経がすっかり切れてしまっとる。これも一寸や二寸なら引っ張って継がせられようが、どういう非道い眼にあったもんか、滅茶滅茶に切れてしまっとるのじゃ、なんとかならんか――と思った時に、ふと考えついたのが、わし[#「わし」に傍点]の研究をしておる電気学で、電線で神経の代用が出来ぬものか、と思いあたったのじゃ、そして電気をよく通すもの、しかし銅では体内で酸化したり腐食する惧《おそ》れがあるというので、白金《プラチナ》を髪の毛のように細かく打伸ばしてな、これを使って見た、ところがどうじゃ大成功なのじゃ、神経系統にいささかの障《さわ》りもないばかりか、しかも流石は畔柳博士の執刀だけに、現在傷一つも皮膚に残っておらんからの――」
「へーえ……では、左きき[#「きき」に傍点]というのはどうしたわけなんですか、白金《プラチナ》線を入れても、それはそれで神経が自然に、又伸びてきて接《つな》がったのじゃないですか」
「ふふん、それは素人考えというもんじゃよ、瞭《あき》らかに現在も木美子の腕の運動神経は白金《プラチナ》線が代用しとる証拠があるんじゃ、というのは畔柳博士が忙しさのあまり白金《プラチナ》線を逆につけてしまったのじゃ、つまり普通の人間では脳の左半球から出る命令が体の右半分を、右半球の脳が左半身を司っていることは君も先刻承知じゃろう、それを、なんとしたことか腕の運動神経だけ右は右、左は左につけてしまったのじゃ、その結果、木美子は生れもつかぬ左きき[#「きき」に傍点]になってしまった……、そればかりか、君、普通の者が歩く時は、右足を前に出す時、左手を振り、次に左[#「左」は底本では「右」]足を出すと右手を振る、こうして平衡《バランス》をとりながら歩行するじゃろう、ところが哀れにも木美子は右足を出すと同時に右手を振り、左足と左手を同時に出してしまうのじゃ、――それであのように、ぎこち[#「ぎこち」に傍点]ない歩き方をするのじゃよ」
「…………」
 私は、この奇怪な話に、ただ眼を見張ったまま頷くより仕方がなかった。彼女が、なんとなくぎこち[#「ぎこち」に傍点]ない歩き方をする、とは思っていたが、まさかこんなに奇妙な、神経を白金《プラチナ》と取りかえたり、脳髄との連絡を逆にされたりした為めであろうとは、想像もつかぬことであった。しかもこの、白金《プラチナ》の神経を持った女を、一目見た時から妖しく胸を搏《う》たれた自分自身に、私は狼狽に似た驚きを覚
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