ッ」という嬉しそうな笑い声が、故意《わざ》とでないか、と思われるほど、誇張されて、響いて来た。彼は、クラクラする眩暈《めまい》を振切って立上るとそのボックスを、グッと睨《にら》んでつき飛ばされるように、松喜亭を出た。
(京子|奴《め》!、畜生ッ)
 そんなことを呻《うめ》きながら、迂路《うろ》つきまわっている中《うち》、源吉の頭の中には、何時の間にか、恐ろしい計画が、着々と組立られていた。
 京子を轢《ひき》殺してやろう、というのだ。
(岩ヶ根の魔のカーヴでやったら、又かと俺を疑うものはないだろう)
 そればかりか、この計画には、或《あるい》はその原因ともいうべき、大きな魅力があった。それは、老人を轢くより若いものの方が、柔かく轢心地がよかった、若い中《うち》でも、娘なんかは一層――と思うとあのムチムチと張切った、京子の豊満な四肢が、ドシンと車輪にぶつ[#「ぶつ」に傍点]かって、べらべら[#「べらべら」に傍点]な肉片になって仕舞う時の陶酔――。骨という骨は、あの楊枝を折るような……。源吉は、ぺろり[#「ぺろり」に傍点]と、乾いた唇を舐めた咽喉がゴクンと鳴ったのだ。
(恰度《ちょうど》、今日は夜汽車の番だ)
 源吉は、機嫌《きげん》よく、出まかせ[#「まかせ」に傍点]な唄を歌いながら、松喜亭の方へ帰り始めた。
 源吉は、それから、京子を上手く誘い出すと、散歩にいい寄せて
『俺は、今日ここを罷《や》めたんだ、明日は国元へ帰るから、もう二度と逢えそうもない、最後だから一緒にそこまで散歩してくれないか……』
 そう、沁々《しみじみ》というと、京子は、すぐ真に受けて
『あら、どうして罷めたの……。じゃ歩きながら聴くわ』
 如何《いか》にも驚いたように、いったが、源吉はその顔色に、
(やっと邪魔者がいなくなるのか)といった安堵を読みとって、ふ、ふ、ふと嗤《わら》った。
 二人は、散歩をしながら、いつか岩ヶ根の近く、雑木林まで来ていた。
 其処《そこ》で源吉は、到頭、そこで京子を殺して仕舞ったのだ。
 あとは、時を見計らって、レールに、京子の死骸を置き、自分が列車を運転して行って、ずたずた[#「ずたずた」に傍点]に轢いて仕舞えばいいのだ。
 彼は京子の力の抜けたくたくた[#「くたくた」に傍点]な躰を、レールに載せると、――その間は、躰の具合が悪い、というのを口実にして、汽車は、非番の倉さんに代ってもらっていた――すぐ岩ヶ根の隣駅、Tに駈つけ滑りこんで来た列車を捕えて、倉さんと交代した。

      六

 源吉は、熱っぽい頬を、夜風に曝《さら》しながら、一つ一つが、余りに順序よく、破綻を起さなかったのが、寧《むし》ろ、あっ[#「あっ」に傍点]気なくさえ思われた。
 だが、この轢殺鬼の計画は、最後まで、成功しただろうか――。
『あと二分……』
 源吉は、懐中時計を覗《のぞ》きながら呟《つぶや》いた。
 前方を注視すると、ヘッドライトの光が、夜霧に当って、もやもやとした雲を現わしていた。その白い雲が、動揺につれて、ふらふらと揺れ、頸《くび》を傾《かし》げると、京子の福よかな、肉体を表わしているのではないか、とも思えた。汽車はぐんぐん前進している。源吉は、鼻唄でも歌いたい気持だった。
 軈《やが》て、岩ヶ根の出《で》ッ鼻《ぱな》が、行く手を遮って、黒々と、闇に浮出して来た。その蒼黒い巨大な虫を思わせる峰には、最初の日、見たような、くすんだ[#「くすんだ」に傍点]朱の火星が、チカチカと遽《あわただ》しく、瞬《またた》いていた。
 カーヴ! 源吉は、窓から乗出して、縞を描いて流れるレールを見詰めた――。
 !轢《ひ》いた!
 その瞬間、源吉の乗出していた顔に、べたッとなま[#「なま」に傍点]暖かいものが飛ついた。血?
 源吉は、列車が止まるのも、もどかしそうに、飛下りた。
 源吉の躰は、ワナワナと顫《ふる》えていた。
(京子じゃない、京子じゃないぞ……)
 彼は冷汗を拭った。
(た、たしかに男だ。男を轢いたんだ)
 それは、轢いた時の、あの感じで、断言出来た。それに死骸である京子から、あんな、暖かい血の飛ぶ筈はない……。
 源吉は、助手から信号燈を受取ると、無遊病のように、歩き出した。
『アッ!』
 源吉はよろよろっとよろめいたが、すぐ立ちなおった。
 信号燈から円く落された光の中には恐ろしい有様《ありさま》が、展開されていた。
 ――そこには、ゴロンと二つの生首が転がり、二人分の滅茶滅茶になった血みどろな躰が、二三間先きに、芥《あくた》のように、棄《す》てられてあった。
(これは京子だが――)
 も一つの生首を確めた時、源吉は、又新らたな驚きに打前倒《うちのめ》された。
 も一つの生首、それは恋仇《こいがた》き深沢の首だったのだ。
 それどころか
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