》を、廻り切って仕舞うまで前方は、見透《みとお》しが、利かなかった。
 何処《どこ》かで、ボデーが、ギーッと軋《きし》んだ。
『アッ! 畜生ッ!』
(仕舞った!)という感じと、鋭い怒声と、力一杯ブレーキを掛たのは、源吉が、行く手の闇の中に黒く蠢《うごめ》くものを、見つけたのと、同時だった。
 だが、十|輛《りょう》の客車を牽引して、相当のスピードを持った、その上、下り坂にある列車は、そう、ぴたん[#「ぴたん」に傍点]と止まるわけはなかった。
 ゴクン、と不味《まず》い唾《つば》を飲んだ瞬間、その黒いものが、源吉の足の下あたりに触れ、妙に湿り気を含んだ、何んともいえない異様な音……その中には、小楊枝《こようじ》を折るような、気味の悪い音も確《たしか》にあった。
(轢《ひ》いた。到頭《とうとう》、轢いちまった――)
 源吉は、胃の中のものが、咽喉元《のどもと》にこみ[#「こみ」に傍点]上って、クラクラッと眩暈《めまい》を感ずると、周囲《あたり》が、急に黒いもやもやしたものに閉《とざ》され、後頭部に、いきなり、叩《たた》き前倒《のめ》されたような、激痛を受けた。
 汽車は、物凄《ものすご》い軋《きし》みと一緒に、尚も四五|間《けん》滑《すべ》って、ガリンと止まった。源吉は、まだ眼をつぶって、一生懸命、ブレーキにしがみついていたが、しんと、取残されたような山の中で、汽車が止まって仕舞ったと同時に、入れ換って訪れて来たシインとした静寂は、却《かえ》って、洞穴《ほらあな》のような、底の知れない、虚無の恐ろしさだった。
『ヘッヘッヘッ……』
 源吉は、何故《なぜ》か、力のない嗤《わら》い声《ごえ》を立てて、自分でグキンとした。
 ゾッと冷汗《ひやあせ》が発生《わい》て、シャツがぴったり脊骨にくっついた。
(気が違ったんか――)
 激しく頭を振って、源吉は、漸《ようや》く吾《われ》に復《かえ》った。
 見ると、年若い助手の久吉も、矢張《やは》り気が顛倒《てんとう》したものか、歪《ゆが》んだ顔に、血走った眼を光らせながら、夢中になって、カマに石炭を抛込《なげこ》んでいる。カマの蓋《ふた》を開ける度に、パッと焔《ほのお》の映りが、血の塊りのように、久吉の顔に飛ついた。
『バ、莫迦《ばか》……止まってるんだぞ……』
 源吉は、周章《あわて》て、久吉の肩を撲《なぐ》って、その手を押止《おし
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