ね、しかしそんな『電力放送局』があるんですか」
「あるわよ、あるから動いているんじゃなくて……」
「……成るほど」
「あなたの叔父様の発明よ」
「あ、叔父、細川の叔父の――」
「ええ……」
「ど、どこにいます?」
「あちらの機械室に……ご案内しましょうか?」
「いや、あとでいいですよ――。僕は中野五郎という者で」
「さっきお聞きしましたわね、ほっほほほ、私の名はもっと憶えいい名よ、小池慶子」
「小池慶子――さん」
「ええ、逆《さかさ》に読んでもコイケケイコ……、憶えいいでしょ、ほほほほほ」
まるで屈託とか含羞《はにか》みとかは、何処にもないような明朗娘だった。
四
見事な白髪になった細川三之助は、船長室のような豪奢な部屋で、独り大型デスクに倚《よ》っていた。
「あ、お前は……」
彼女に導かれて入って行った中野を見ると、思わず腰を浮かしたようだったけれど、すぐ又、表情を顔から拭い去って
「どうして此処へ――」
「うっかりしている間《ま》に船が動いてしまっていたんです……、それに、一寸慶子さんと話していたもんですから」
「困るねえ……もう陸からは一千|粁《キロ》も離れているんだ。今更かえっている暇はない」
「一千粁――? そ、そんなに……」
「そうだよ、この船はお前たちの考えている飛行機よりずっと速いんだ、『音』と同じ位の速度が出るんだからね、一秒に三百四十|米《メートル》としても……もう三十分にもなるから九十一万四千米は来ている――」
細川三之助は、こんどは慶子の方に眼をやった。
「こんな男が乗ったのを、なぜもっと早くいってくれないんです?」
「……うっかりしてましたわ」
彼女は、恐らく生れてはじめてらしいような照れ気味な顔をすると、ぴょこりと頭を下げて部屋を出て行ってしまった。
「――困ったね、他人《ひと》には絶対見せられない所へ行くんだが」
叔父は、額に深い竪皺《たてじわ》を寄せ部屋の中をぐるぐる歩きはじめた。この癖も中野の記憶にあった。叔父は何か考え事があると昔もよくそうしていた。
「一体、何処へ行くんですか」
「一体何処って、まあ、仕方がない、太平洋上のある島だよ、無論地図にもない島だ」
「そんな島があるんですか」
「現にあるんだ、勿論普通の航路からはずっと離れたとこにあるし、低い島だから余程そばに来てもなかなかわからない」
「そこに十何年もいたんですか。何をしているんです」
「……ある人の頼みで研究に従事しているんだ。秘密が洩れぬよう音信不通の約束でね……、こんどだって必要なものを買いに行ったんだがあのK海岸のように混雑している所の方が却て眼立たぬつもりでいたのに、お前がいたのは運のつきだった」
「しかし、この船などから見ると相当大規模なことをしているようですが、一体誰が経営しているんです?」
「名はいえないよ、言えばすぐわかるからね、つまりその人はアメリカからの帰りに、船が難破して、やっと助けられたものの頭が少し変になったといわれている大金持だよ。実は漂流しているうちにこの島を発見したのでわざと頭の調子が悪いように見せかけて内地を去り、我々のような者を集めてその島に一大科学国を造っているわけなんだ。その意味で震災は科学者が大量に姿を消すにはこの上もないチャンスだった。あの時に行方不明になったという者の大部分は、現在盛んに研究に従っているからね」
「……まるで夢物語ですね」
「ばかをいってはいかん。……尤もお前たちから見れば『夢物語』のようなことかも知れないがね。がこの船のようなスピードを出したものは他にあるまい。人類の達した最高の速度の中に、今お前はいるんだ。これほどハッキリした話はあるまい」
「…………」
「一秒間に三百四十米という音と同じ速さは、ほぼこの地球の自転の速さに匹敵する速さだ。だからもしこの船が地球の自転と反対の方向に駛《はし》ったら、永劫に夜というものを知らないでいることが出来る……、恐らく空気中では最高の速度だといっていいだろう」
「すごいもんですね……それにしても一向に震動がないじゃありませんか、波なんか問題にしないんですか」
「波? はっははは」
叔父は始めて笑って
「冗談じゃない本当に海の上をすべっていたらとてもこんなスピードは出ないよ、この船は実際は海の上五米ばかりの所を飛んでいるんだ、船の形をしているのは結局人の眼をさけるためさ……」
そういっているうちに、急にスピードの落ちて来た感じがすると、ゆたりゆたりと波のうねりも伝わって来た。
「着水したんですね」
「うん、島についたんだ」
「どんな島です……」
中野は窓際に馳寄ると、外を覗いて見た。しかし、其処は、右も左も満々たる大海原の真只中で、針でついたほどの島影も見えない――
「まだ、ですね」
「いや、そこだよ」
「でも見渡すかぎりの海で……」
「島は隠してあるのさ、俗物の近寄らんように」
「島を隠してある?」
「そうだよ、つまり蜃気楼、人工蜃気楼で一面の海のように見せかけてあるんだ」
「ほう……」
「これなんか一寸面白いと思うね。例えば敵機が大編隊で東京を空襲に来る。防禦の飛行機が舞上るが、とても全部撃墜というわけには行かない。半数位は薄暮の東京上空に侵入して毒ガス弾、爆弾を雨霰《あめあられ》と撒きちらし、東京全市は大混乱の末、まったくの廃墟と化した――、と思うと、実はこれは人工蜃気楼で東京全市を太平洋に浮べてあっただけだから、敵は命がけで遠い所を爆弾を運んで、なんのことはない太平洋に爆弾を棄てに来たようなものであった……とはどうだ。面白い筋書じゃないか」
細川三之助は、なかなか饒舌だった。
なるほど面白い話だけれど、しかし中野五郎は、いま後《うしろ》のドアーを細目にあけて覗きこんだ慶子の眼と、人工蜃気楼の奥にかくされた、まだ見ぬ島の様子の想像とに、すっかり気を奪われて、うわの空であった。
五
人工蜃気楼の奥に秘められた科学の島『日章島』に、小池慶子にともなわれて上陸第一歩を印した中野五郎は、先ずのっけ[#「のっけ」に傍点]から驚かされどぎも[#「どぎも」に傍点]を抜かれて眼を見張った。
科学の島というからには、無風流極まる、コンクリートの工場地帯を思わせるような風景を想像していたのだか、一歩、人工蜃気楼の障壁を這入《はい》ると、其処に、忽然と繰展《くりひろ》げられたのは、言葉通り百花繚乱と咲き乱れた花園のような『日章島』だった。南国の明るい光りの中に、桜も藤も、グラジオラスもダリアも、女郎花《おみなえし》も桔梗《ききょう》も……四季の花々が一時に咲き競っている様は、一寸常識を通り越した見事さだ。そしてその向うに、夢のような美しい線をもった硬質硝子製の研究室が続いていた――。
が、それにも増して驚いたのは、迎えに出て来た十人ばかりの少女で、それが揃いも揃って、まるでハンコを捺《お》したように、彼の傍で微笑している小池慶子とソックリ同じなのだ。
双生児《ふたご》というのは、少しは滑稽味もあるけれど、しかしソックリ同じ貌《かお》かたち体つきの少女が、ずらりと十人も並ばれて見ると、中野は何かしら圧迫感を覚えるばかりだった。
「一体これは……」
中野が呆然と立ちすくんでいると、慶子はその横顔を面白そうに見上げて
「くッくくくく」
と、まるで悪戯《いたずら》ッ子がうまく相手を嵌《は》めこんだ時のように、いかにも嬉しそうに笑っていた。
「一寸、壮観でしょう……、私もはじめは、まるで私の影がそこら中にうろうろしているみたいに感じて、ずいぶんヘンだったんですけど……でも、馴れちまったわ。却ていい時もあるわよ、私が悪戯しても誰が誰だか解《わか》んなくなっちまうんですもん」
「……しかし、よくもまあこんなにソックリな人をあつめたもんですねえ」
中野は、実際のところ一と眼慶子を見た時から、理想の女性にぶつかったような、自分の一生には、もう二度とこれ以上の女性《ひと》には逢うまいと思うような感激を覚えていた。それが、その慶子とソックリの女性に、こうずらりと並ばれて見ると、眼がくらくらするような気持ちであった。
「集めた、のじゃないわよ、造られたのよ」
彼女は、とんでもないことを、平気でいった。
「造られた――?」
中野は、ギョッとしてもう一遍見廻した。しかし人造人間にしては、あまりに精巧だった。精巧でありすぎた。
いかに科学万能の秘密境であるかは知らないが、この一人一人が造られた人間だとは、とても信じられなかった。
「造られた、っていうと、人造人間だというんですか――」
途端に、えらい騒ぎがはじまった。
「あーらいやだ」
「やだわ、あたしたちが人造人間だなんて……」
「少し面喰《めんくら》っているのよ、この人」
「ねえ、慶子さんこの人なんていう名?」
「教えてよ、いいじゃないの」
「ちょっと、ハンサムじゃない?」
ずらりと並んでいた、『慶子たち』が一斉に喋べり出したのだ。姦《かまび》すしさはこの科学の島でもいささかも変らなかった。中野は血が頭にのぼって行くのを、自分でも知っていた。ただその中で
「あたしたちが人造人間だなんて……」
といった言葉だけは、ぴんと耳に響いた。
(人造人間ではないのか、――とすると)
とすると、慶子のいう『造られた』という意味がわからなかった。
中野は、頭をかかえて、もう少しで逃げ出すところだった。もしその時、船からの荷上げを指図していた細川三之助が来てくれなかったら本当に逃げ出していたかも知れない。
叔父は何かいうと『慶子たち』を研究室の方へ、追いやってしまった。
「どうしたんだい、島に上《あが》る早々この騒ぎは……」
「どうも、僕にもわからんのです」
中野が『造られた』という意味を糺《ただ》すと
「そうか、そういう訳か、そりゃ慶子さんの説明不足がわるいぞ」
叔父は、一寸慶子を睨んで見せると
「残念ながらこの島でも、人造人間をあれほど精巧に造るまでにはいっていないよ。何しろあの人たちは本当の女性《ひと》なんだからね……ただ整形外科の医学の方は人の顔の美醜を自由に造りかえる位にはいっている。顔の美醜といっても、眼は二つ鼻と口は一つというように造作にかわりはないんだ。要するにその造作の配置の問題だからね。その配置さえ適当にすれば醜女《しこめ》たちまち絶世の美女となるわけさ……といっても真逆《まさか》シンコ細工のようにちょいちょいするわけには行かんから、勢いモデルが必要となる。そのモデルに撰ばれたのが、ここにいる慶子さんだ。だからソックリ同じ美女が、ずらりと出来上ってしまったのさ……」
「なるほど――」
中野は、やっと呑込めた。と同時にいささか満足でもあった。自分が思ったように、彼女はこの『日章島』に於いても、モデルにされるほど美しいのだ、と。
「でも、いやあね、ぱったり道で会ったりすると、どきっとするわよ」
「そうでしょうね、しかしそれ位は安い税金だ――」
「まあ……」
彼女は、薔薇の葩《はなびら》のような頬をして、わざと向うを向いてしまった。
六
叔父の案内で、中野は四季の花の咲き乱れる花園を抜けて、研究室の方に進んで行った。
硬質|硝子《ガラス》で造られている研究室の採光は、申分なかった。地上には一階しか出ていなく、平家《ひらや》のように見えたが、実は地下に数十階をもっている広大なものだった。地階の部屋には、全部冷光電燈がつけられてあった。冷光電燈はエネルギーを百パーセント光として使っているもので、普通の電燈のように、大部分を熱に消費してしまい、僅かにその何パーセントかを光として利用するものとは比べものにならないほど高能率のものだった。その上温度と湿度を調節され、クリーニングされた空気が爽かに流れている。ただ一つ、何時の間にか慶子が姿を消してしまったのが残念であったが……。
叔父はそんなことには一向にお構いなく、中野に振りかえる余裕も与えないほど、どんどん進んで行った。
最初に押したドアーには、
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