と》頷くように眼を動かしたきりだった。
 中野は、そこに設《そな》えつけの、望遠鏡の接眼部を拭うと、静かに眼に当てた。
 いつものように、水平線の方からずーっと見渡した。沖には肉眼では見えにくいが、舟が二艘出ていた。しかし、それきりだった。
 こんどは右手の岬の方に、廻して見た。
 ――この、望遠鏡を覗く、というのはまあ一種の役徳ですよ、相当『珍』なのがありますからね、とは圭さんの笑いながらの話だけれどそんな意味ばかりでなく、中野は望遠鏡をのぞくのが好きだった。
 たかが地上望遠鏡で、口径の小さい、倍率の低いものだったけれど、それでもこんな簡単な筒を通して見るだけで、肉眼では見えない向うの世界が手にとるように、引寄せられるというのが楽しかった。何か、人の知らないものを、自分だけこっそり楽しむという慾望が人間にあるのなら、望遠鏡は、たしかにその一つを味わわせてくれる機械である。
 ――岬の方にも、変った様子はなかった。釣りのかえりらしい男の歩いているのが見えたが、その魚籠《びく》のなかは、いくら見ても空ッぽらしかった。
 が、望遠鏡の向きをかえよう、とした時だ。ふと岩蔭の窪みに、見馴れぬ
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