、美の探窮場として、建てられたのが景岡浴場でした――。
×
従って、景岡浴場というものが、どんな構造になっていたか、大体御想像がつかれる事と思います。
二
景岡秀三郎は、学生時代に、三助になろうか――と、真面目に考えた事がありました。然し、それは到底実現出来ない話です、というのは、他人の裸体に対して激しい魅惑を感ずれば感ずるほど、自分の裸体に底知れぬ嫌悪を覚えるからです。
美しい裸体の群像の中に飛込むこと――、それは限りなき蠱惑です。だが、自分も褌一つの裸に……、それは到底出来得ない事です。景岡にとっては、自分の裸体を衆目に曝《さら》すより、死の方が、どれほど易々[#「易々」に傍点]たることだったか――。
自分は姿を隠していて、それでいい裸像群の隅々までも、見られるような――。これが景岡の胸の中に醗酵した『景岡浴場建設趣意』でした。
そして、それが何人の掣肘もなく、どんどん出来上った舞台は、一口でいえば硝子箱の浴槽を持った、非常に明るい浴場でした。
景岡は、この硝子箱の浴槽、というのを恰度その頃開催していた某博覧会の『美人|海女《あま》、鮑取り実演』という、安っぽい見世物から思いついたのです。
その見世物は――御承知でもありましょうが――、硝子で水槽を造って、その中に岩だの、海草だのを、ごたごたと配置して、海中らしく設《しつ》らえ、そこへ半裸体の海女が、飛込んで鮑を取って来る。という他愛もないものですが、あの真赤《まっか》な湯文字を、巧みに飜がえして、眼の前に泳ぎ寄る蒼白い水中の裸女の美は、彼景岡秀三郎の頭の中の、総ての感覚を押しのけて、ハッキリと烙印されて仕舞ったのでした。
――そして、其処《そこ》に、海女の代りとして、素晴らしい全裸の肉体を、泳がせたら……。
(何んとスバラシイ美の構成であろう)
景岡は夢みるように、手を振って、幻を掴み乍ら、激しい鼓動に、息を弾ませるのでした。
×
まこと、其の期待は、見事適中したというものです。景岡浴場、開業第一日からの盛況は!
全く、この下町K――には初めての豪洒《ごうしゃ》な浴場だったのです。あのライトグリーンのタイルに足を投出して、明るい湯霧《もや》を見詰め乍ら、うっとり[#「うっとり」に傍点]とする気持は、そして晴れた高空《たかぞら》に、パンパンと快よく響く流しの醸す雰囲気は、誰だって、溜らなく好ましいものに相違ないのですから……。
――一方、又、景岡にとっては、この放心したような、自由な姿体を持った裸の群れを、彼の檻《おり》の中に置いて、どんなに狂喜したことでしょう。
景岡秀三郎は、殆んど総ての時間を、浴槽の下にある、薄暗い部屋で送っていました。その部屋は、勿論景岡一人しか知らない秘密の部屋で、浴場の裏に附属している母屋の、彼の私室である二階から、裏階段を通って直接下りて行く以外に道がなく、従って、雇人たちの眼に触れずに、こっそり[#「こっそり」に傍点]と往復することが出来るのでした。
その部屋の様子は、一口でいえば、硝子張の天井を持ったコンクリート造りの地下室――だったのです。
地下室で、四囲《あたり》は真暗ですから、頭の上の硝子張(浴槽の底)を透して来る光だけが、ほのぼのと部屋を照らしていますその光りで見ると、その部屋にはたいして道具などもなくただ、安楽椅子ともいうべき寝椅子と、その他二三脚の普通の椅子、それに莨盆《たばこぼん》を乗せた小さい卓子……等だけが、ほんのりと浮き出して見えるきりです。
二三尺もお湯を透して来る光りは、この為にこの景岡浴場は充分過ぎるほど採光に意を払って建てられているのですけれど、それでも妙に蒼味がかった、何んともいえない色合を見せていました。恰度――なんていいますか、あの厚いガラス板を縦に見た時に、深淵の澱んだようなモノスゴイ蒼さを見せますけど、一寸、あの感じ……とでもいいましょうか。
さて、景岡秀三郎はその密室に這入りますと、いつもさっきの寝椅子にゴロンと横になるのです。斯うすると、恰度眼の前二尺ばかりのところへ浴槽の底の硝子板が来るのでした。
そうして楽々と寝そべって、タバコをふかし[#「ふかし」に傍点]乍ら、その世にも奇妙な、滑稽極わまる、徹底的曝露舞踊を、独《ひと》りニヤニヤと眺めている――この彼自身の姿に彼自身、狂いそうなウレシサ、とてもたまらないタノシサを感ずるのでした。
三
この頭の上を舞《おど》り廻る裸形のダンサー……ああ、とても罪なことに、その中には○○も○○もあらゆる階級の人が、何んにも知らずに舞《おど》っているのです……に放心したような月日を送っていた景岡秀三郎も、興味的にのみ眺め暮していたのが、いつとはなく観察的にそれ等を見るよう
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