いた方が、よっぽどましだった筈である。
 また、考えて見れば、山の中で偶然出逢った男などに、年頃の、しかも美貌の少女の秘密などを――例えそんなものがあったとしても――わざわざ呼止めて打明けるであろうか。
 ――川島は、自分自身の甘さ加減に舌打ちしたくなった。
「なるほど。よくわかりました。ぼくはこの浮世を棄てた山の中で研究に没頭されている吉見さんの研究所から、素晴らしい植物が生れ出るに違いないと思いますよ――では、ぼくは」
 しかしその最後の言葉は、吉見に聞えなかったようだ。吉見は、いいながら腰を浮そうとした川島を、その両の手を制するように振って押し止《とど》め、
「そう、そうなんだ、いかにもわしはその君のいう素晴らしい植物を作ったんだ、到底、いや絶対にといってもいい位君は信じないだろうが――、つまり先刻《さっき》君が見た三人の少女を」
「なんですって?」
 川島も、思わず訊きかえした。
「あの三人の少女は、われわれのような人間ではない、動物ではないんだ、植物なのだ。植物から進化した人間、なのだよ」
「…………」
「勿論、君はそんなことを信じやしまい、今までの誰にしたって同じことだった。――所謂常識とやらを外《はず》れたことだからね」
「……しかし、なるほど動物も植物ももとは一緒だとしても、そんなに早く、人間にまで進化さすことが出来ますか」
「適当な方法を使えば雪の降る日に西瓜を実らすことも出来る。わしはそのあらゆる方法を使って、この地に発見された珍らしい活溌な寄生木《やどりぎ》の一種をもとに、あれまで漕ぎつけたのだ。寄生木はほとんど根らしいものを持たぬあれは菜食植物だ」
「…………」
「ところが、寄生木から出来たものは、御覧の通り人間でいう女性ばかりだったよ」
 吉見は、その言葉で何か皮肉な諷刺をいったつもりらしく、川島の顔を窺うようにして片頬を歪めたけれど、しかし川島はさっきから息つく暇もないものに襲われていた。
(果して、そんなことがあり得るだろうか)
 どうしてもその疑問を振切ることが出来なかった。そのくせ一方では
(美しい筈だ。花のような美少女ではなくて、花そのものの美少女なのだ――、似ている筈だ。同じ枝に咲いた桜そのもののように見分けがつかないのだ)
 とも、思うのである。

      六

「しかし、いずれにもせよ」
 吉見が、不満そうな眼をあげたけれど、川島は構わずに続けた。
「いずれにしても、あの綺麗な、成人した少女たちを、こんな山奥の沼畔にいつまでも置いては可哀想じゃないんですか、都会――というより世の中に出して教育をされるとか、また、あなたにしても、これだけの大成果を誇ってもいいし少くとも発表すべきではないんですか」
「世の中に出す、って――」
 吉見は、ギョッとしたように川島を見詰め、それから急に額に縦皺をよせて、激しく頭を振った。
「と、飛んでもないこと、あの三人はわし無しでは一日も生きて行けないのだ。わしは全霊を打込んで手塩にかけてきたあの三人が、世の中に出されれば屹度《きっと》好奇心の犠牲になることを知り切っている、見世物扱いを受けさせることが堪えられないのだ、わしはわしの苦心を見世物にしようなぞ、断じて思いもよらんことだ」
 吉見は、その胡麻塩の髭のなかから眼を光らせ、のしかかるような激しい口調でいったかと思うと、こんどはまた急に、また哀願するように囁くのだ。
「いや、君はそんなことはないね、まさか君はあの三人をわしから引※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《ひきむし》って行って、一と儲けをたくらむような、そんなことはあるまいね、――洋子たちは此処で充分幸福なのだ、そっとして置いてやってくれたまえ、それに、この素晴らしい大事業の名誉を、わしのために守ってくれるなら、わし自身が発表するまで君だけの胸に畳んで置いてもらいたいのだが……」
「むろん、そんなこといいやしません、ぼくは香具師《やし》じゃありませんからね」
「そう、ありがとう……、植物人間はまだわしが充分と思うまで完成されていないのだ、それがしっかり完成するまで他人《ひと》に知られたくはないのでね」
「よくわかってますよ、――万一ぼくが口をすべらしたからって、第一地図にもない沼のほとりで遭ったこの出来事を、そのまま信じてくれる人なんぞあるものですか」
 吉見は、口をへの字に曲げて頷いた。
「ところで、だいぶお邪魔しましたが、ぼくは九里峡の方に出たいと思うのですが、……」
 川島は、吉見からくだくだしい挨拶とともに、九里峡へ通ずる自動車道路までの道順を教わった。
 その道順は、何百歩置きかにある草木を目印としたもので、とても二度と再びその路を逆に此処まで来られそうもなかった。寧ろ吉見はそれを望んで、わざとそのような教え方をしたのではないか、とも思われる。
 川島は、思いがけぬことに時間をとってしまい陽のあるうちに目的地に行けるかどうかを危ぶみながら、しかし一方では、吉見さえ嫌な顔をしなかったならば、あのままに別れて来た洋子たちにもう一度あって確かめたかったのだけれど、吉見はなぜかそれを喜ばぬような素振りだった。
 そして、小屋のドアから送り出されると、沼とは反対の、教えられた森の中へ帰りはじめた。
 三つ目の目印のところで立止った時は、もう一度引かえそうかと思った。
 だが、振りかえって見ると、こちらからでは此処へ来るまでに過ぎて来た目印が、もうわからなくなってしまっていた。
 四つ目の目印である葡萄の花のところまで来て、またもう一度振りかえった。
 その時、ふと見上げた左手の崖の上に、思いがけないものが立っていたのである。
 洋子だった。たしかに菊の縫取りがあった――。
 その洋子が、こっそり見送るように川島を見|下《おろ》していたのだ。ばったり眼が合った瞬間、彼女はどぎまぎした様子だったけれど、すぐその手袋のように白い手を振って見せた。
 洋子の顔は、気のせいか上気したように赧らんで見えた。そして思わず川島が、両手を口に当ててメガホンのようにし
「洋子さあーん」
 と呼んで手を振ったのに、いや、却ってその声が、あたりの森の中にわーんと泌込んで行ったせいか、彼女は、その美しい顔を泣き笑いのように歪めると、ぱっと身を飜えして木々の間に消え失せてしまったのだ。
 川島は、いそいでその崖を駈のぼった。
 夢中で掴まった草が野薔薇のように刺をもっていた、が、それが痛いということは、しばらく後《あと》になって、やっと気がついたくらいである。
 だが、そんなにも急いで来たのに、洋子の姿は二度と見ることが出来なかった。
 川島は、思い切れぬままに、しばらくあたりを迂路つき廻った末、やっと刺を持った木に引掛っていた洋子の服の引き千切られた一片だけを、見つけ出すことが出来た。
 たしかに洋子が来ていたのである。そして服のどこかが引き千切れるほど疾《はや》く去って行ったのである。
 あの泣き笑いのような複雑な表情が、果して植物であろうか、植物の彼女が、そんなにも疾く駈去ったのであろうか。そして又なんのために、こんな所へまで、川島をそっと見送って来たのであろうか。
 洋子たちが、植物人間だなどとはそれこそ真ッ赤な出鱈目である。吉見の尤もらしい嘘っぱちなのだ。
 あの三人は、ただ世に稀な三つ児に違いない。吉見こそその父なのだ。
 吉見は、自分の不愍な三人の娘を、世間の好奇な眼に曝らすことが堪えられなかったに違いない。そして三人を揃って手許に置きたいばっかりに、こんな山の中に引込んでいるのではなかろうか。
 そして、偶然まぎれ込んで来た川島の口を防ぐために、植物人間などという奇妙な作り話をしたのではなかろうか。
 川島は、いつまでも、その彼女の碧羅を引き千切った木の傍らに、立ちつくしていた。陽は殆んど暮れかかって来た。黒ずんだ森が、風に蕭々と鳴りはじめて来た。それは、しかし、まるで森の木々共が、川島にはわからぬ言葉で、洋子たちのことを大声で話し合っているようにも聴えるのであった。



底本:「怪奇探偵小説名作選7 蘭郁二郎集 魔像」ちくま文庫、筑摩書房
   2003(平成5)年6月10日第1刷発行
初出:「オール読物」
   1940(昭和15)年11月号
入力:門田裕志
校正:川山隆
2006年11月13日作成
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