ある。
向うでもこの異様なハイク姿の川島が、突然森の中から現われたのに気がつくと、川島以上に愕いたらしかった。それはあわてて彼女が立上ろうとした拍子に、平均を失ったボートがいまにも顛覆しそうに揺れ動き、丁度都合よく駈寄った川島が艫を抑えなかったならば、彼女はそのまま青みどろの沼の中に抛出されてしまったに違いないと思われたくらいだからだ。
「危かったですね」
「…………」
川島が艫を抑えてボートを水際に引上げるようにしながら話しかけた。けれど、彼女は舳先《へさき》の方に蹲《かが》んだまま、ただその円《つぶ》らな瞳《め》を二三度瞬いたきりである。
「ここは何んという沼なんですか、ぼくは一寸道に迷っちゃいましてね」
しかし彼女は、矢張り川島に眼を灑《そそ》いだまま
「さあ、いいえ……」
といったような無意味な言葉を、口の中で二言三言つぶやいただけだった。
いずれにしても、この木と草と土以外に生物といえば虫けら位しかいはしまいと思われていた鬱蒼たる森の、その急傾斜な崖に囲まれた沼のほとりに、十八九かと思われる美少女がただ独りぽつねんと小舟に腰をおろしていた、ということはどう考えても奇
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