跡すらもなかったらしいのは奇妙である。
川島は、其処の倒れた松に腰かけて一ぷくしながら、緑《あお》いゼリーのような、地図に無い沼を見下《みおろ》していたが、やがて煙草を棄てて水際までおりて行った。
思ったより広い沼だった。ざっとした目分量では五百坪ぐらいもあるように思われた。そして水際まで降りて行っても、水の底は見えなかった。びっしりと緑い絨毯を敷詰めたように微生物が水の表面を覆っているのだ。その上四方は鬱蒼とした森を持った崖が迫っていて、これだけの広さだのに、輝くような日光の直射を受けているのは、沼のほぼ中央の、ほんの一部分だった。そしてそこは緑い微生物の群のために膨れ上っているように見え、本当に明るいのはその部分だけで、そこから遠ざかるにつれて薄暗く、向う岸などは此処から見ると藍色味を帯びているように見えた。子供の時に聞いた魔の沼のようであった。
が、そうして、あたりを見廻していた川島の好奇な眼に、思いがけないものが飛込んだのだ。それは、左手の方の一寸入り込んだ水際につながれているボートだった。ボートというよりもボートと小舟の折衷のような、早くいえば無細工至極なものだったけれ
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