舌打する
蘭郁二郎

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)口惜《くや》しかった

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)読みながら、[#「、」は底本では「、、」]
−−

 チェッ、と野村は舌打をすることがよくあった。彼は遠い昔の恥かしかった事や、口惜《くや》しかったことを、フト、なんの連絡もなしに偲い出しては、チェッと舌打するのである。
(あの時、俺はナゼ気がつかなかったんか、も少し俺に決断があったら……)
 彼はよくそう思うのであった。けれど夢の中で饒舌であるように、現実では饒舌ではなかった。女の人に対しても口では下手なので、手紙をよく書いた。けれど矢っ張り妙な恥かしさから、彼の書いた手紙には、裏の裏にやっと遣る瀬なさを密《ひそ》めたが、忙しい世の中では表てだけ読んで、ぽんと丸められて仕舞った。
 又女の人と一緒に歩いても、前の日に一生懸命考えた華やかな会話は毛程も使われなかった。そして、彼はただ頷くだけの自分を発見して淋しかった。然しその時は、ただ一緒に歩くだけで充分幸福であるのだが、あとで独りになると、チェッと舌打するのである。

次へ
全2ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蘭 郁二郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング