目を投げた。
 暗灰色の密雲《みつうん》は、みっしりと空を罩《こ》め、褪色《たいしょく》した水彩画のようなあたりには「豊さ」というものは寸分も見出せなかった。木々の小枝に到るまでキンと尖鋭した冷たさと、淋しさを持って顫《ふる》えているのであった。
 そして何者も生気をもたぬ地上では、一個の狂人と、一個の失意に歪《ゆが》められた男とが、黙って向き合っているのだ。
(何か不吉なことが起りはしないか)
 そんな気が、何処ともなく漂っているように感じられるのであった。

      四

『僕は――』
 到頭《とうとう》その男が、暫くの沈黙を破って、話し出した。
『僕は、人殺しをしたんですよ。だけど誤解しないで下さい、僕は人殺しをした事を悔んでいるんじゃありません――これは寧《むし》ろ得々としてあなたにお話できる事です、然《しか》しです。まあ聞いて下さい。私は一昨日、銀座の大通りで人殺しをしたんですが――』
 中田は、思わずグッと身を固めると、忙しく頭を働かせた。だが中田の記憶がたしかならば、一昨日は銀座で、そんな事件があった筈はなかった、――なぜならばそんな事件があれば、屹度《きっと》新聞に
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