蘭郁二郎

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)霖雨《ながあめ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]《はる》か
−−

 毎日毎日、気がくさくさするような霖雨《ながあめ》が、灰色の空からまるで小糠《こぬか》のように降り罩《こ》めている梅雨時《つゆどき》の夜明けでした。丁度《ちょうど》宿直だった私は、寝呆《ねぼ》け眼《まなこ》で朝の一番電車を見送って、やれやれと思いながら、先輩であり同時に同僚である吉村君と、ぽつぽつ帰り支度にかかろうかと漸《ようや》く白みかけた薄墨《うすずみ》の中に胡粉《ごふん》を溶かしたような梅雨の東空を、詰所《つめしょ》の汗の浮いた、ガラス戸越しに見詰めていた時でした。思い出したように壁掛電話がチリン、チリン、チリチリンと呼出しを送って来たのです。そばにいた吉村君が直ぐ受話器を外しましたが
『え、何、ポンコツか――ふーん、どこに。うん、うん、行こう』
 といってガチャリと電話を切って
『おい、ポンコツだとよ、今の、番が見つけたっていうから終電車にやられたらしいナ』
 と腐ったような顔をしていうのです。このポンコツというのは我々鉄道屋仲間の言葉で轢死《れきし》のことをいうのですが、私も昨年学校を卒《で》てすぐ鉄道の試験を受け、幸い合格はしたもののどういう関係かさんざ焦《じら》された揚句《あげく》、採用になったのは秋でしたので、この梅雨の季節を迎えるのにはまだ半年ばかりしか経っていなかったのです。しかしそれでも私の仕事が保線区であったせいか既に三四回のポンコツに行きあっていました。中でも一番凄かったのは矢張り若い女の時で、これは覚悟の飛込みだったそうですが、そのせいか、ひどく鮮かにやられていました。丁度太腿のつけ根と首とを轢《ひ》かれ、両脚はその腿のつけ根のところでペラペラな皮一枚でつながっていて、うねうねと伸びているのを見た時は、そしてそうなってまで右の手で着物の裾をしっかり抑えているのを見た時は、我れながらよくも独りで詰所までやって来たと、後からも思ったほどでした。その二三日は飯もろくに食えずに舌の根がひりひりするほど唾《つば》ばかり吐き散らしていたものです―
次へ
全5ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蘭 郁二郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング