われるとでもいたしましたら、これはどんなに面白いことでございましょう、ひょいとそういうことに気がつきましたら、急に地震計がほしくなりました、木曾さまのお考えで、やらせて見ようというお考えでしたら御一報下さいませ、でもこちらは地震の尠いところですし、本所の方でももうお考えになっているかも知れませんけれど。六月十三日附――。

       七

 村尾健治から木曾礼二郎あての私信。
 ――御健栄のことと存じます。僕の方もいよいよ準備が整い、ぽつぽつ実験に取りかかっております、原子爆撃による元素の変換……すでに成功している水銀の一原子から一個のプロトンを叩き出して金の原子にする……ということから取りかかろうと思っています、これは実に近代科学の一つの最高峰を示すものでありましょう、いや、そんなことを木曾さんに申すのは釈迦に説法ですからやめますが、しかしとにかくこの原子という眼に見えない微小なものを考える時に、僕はふと奇妙な気持に襲われるのです、水を幾つにも幾つにも分けて行って、遂に水として最後のものの分子となり、それを更に分ければ最早水ではなくて酸素と水素とになってしまう、その酸素と水素とは、要するに一つの中心の核のまわりを幾つかの高速度の電子がぐるぐる廻っているものである、そしてそれは殆んど空間で満《みた》されているといっていい、つまり物質の容積とか体積とかいうものは、結局はカラである、家やテーブルや犬を形作っているものは殆んどすべてが空所である(では何故に物が崩れて眼に見えないような点になってしまわぬかという理由は、御承知のように原子の内部の電子と核とが互に引き合い斥け合っているからなのですが)、しかしこれにも増して愕くべきことは、この絶対に崩壊しないと思われていた原子すらも、人間の力によって、例えばサイクロトロンの強力磁場を利用する爆撃によって、電子を核からもぎ離し、実際に於いてその物質を破壊することが出来るようになった、という僕現在の仕事のことなのです。
 僕はこの(眼に見えないから想像の上の)原子というものを考える時、実に不思議なものを感ずるのです、僕は今、ある非常な不安に襲われているのです(これは他の人だったら、或いは相手にしないことかも知れませんから、木曾さんにだけいうのですが)、その非常な不安――というものをいう前に、先ず大きさというものが一体どんなものか
前へ 次へ
全20ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蘭 郁二郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング