第一の風光明媚といわれていたことに少々疑問を持って来ました、いや、風光は明媚かも知れませんが、しかし第一の健康地であるかどうか、これは疑問ではありませんか、緯度からいったら樺太の北に当るベルリンやロンドンでは樺太で想像する生活ではありません、とにかく地球の自転の方向からいって、亜欧大陸、米洲大陸など大陸の西側が健康地である筈です、内地やニューヨークなど大陸の東側に在るものは、それよりも劣るとも優ってはいないでしょう、といって何も絶対的ではありませんけど……、とにかく僕は内地を出れば悉《ことごと》くが瘴癘《しょうれい》の地であるという考えをもっていたら間違いだ、といいたいのです、第一僕たちがボルネオに出発するといった時に、体に気をつけなければいかんといって、おそろしい不健康地に行くように思っていた友人もいますが、それは結局英国なんかの宣伝に乗っているんです、彼等は、まだ自分たちの手が十分についていない土地は、住むにたえぬところとして宣伝して、世界の眼から隔離して置きたかったからに相違ありません、ボルネオは健康地です、つくづくそうわかりました、猛獣毒蛇もいません、鰐《わに》は少しいます、しかし東京にだって蛇はいるのですから、愕くにあたりません。僕は健康です、そして準備の整い次第早く仕事にとりかかりたいと張切っていることをお伝えして置きます。石井さんも元気です、そして皆んなのために朗らかな雰囲気をいつも持たしてくれることに感謝しています。
長い船旅のつれづれに考えたのですが、われわれ人間には話という「声」や、手紙という「文字」によらなくて、もっと直接的な通信(通信といって変ならば、意志の交換とでもいいましょうか)が科学的に掴まれなければならぬと思います、たとえば一群の蟻は、音もせぬ真暗闇の中でどうしてその全部の間に瞬間的な通信が出来るのか、飛んでいる※[#「蠢」の「春」に代えて「亡」、第3水準1−91−58]《あぶ》はどうしてお互いに見つけ出すことが出来るのか、それは生物間の通信というものに、「声」と「文字」以上のものがあることを思わせます、或いはまた恋とは声とか文字とか以外のものを持って調和し、科学ではわからない何らかの方法でお互いに感じたり、心と心、魂と魂とが交流したりすることが出来ることのようです、声は会話ばかりでなくラジオによって広められ、文字は手紙ばかりではな
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