て不思議な魅力のあることを、私も否《いな》めなかった。
だが、ひどく利己的な、その癖極めてお体裁屋の私は、このアクティヴな力を圧倒してまで飛込んで行くことが出来なかった、それで人足先きにマダムへのスタートを切ったらしい青木を、ただニヤニヤと見つめるのであった。そして私は、前いったように、諸口さんの方から自分に接近して来るのを、巣を張った蜘蛛のように、ジーッと、そのくせ表《うわ》べは知らん顔をして待っていたのであった……。
×
深閑として、午前の陽を受けている。このサナトリウムに沁みわたるように鐘が鳴った。九時、診察の知らせである。この病院では軽症患者は医局まで診察を受けに行くのが慣わしであった。
鐘が鳴ると、そこここの病棟から廊下伝いに、或は遊歩道の芝生《ローン》を越えて集って来た患者が、狭い待合室の椅子に並んで、順番を待っていた、第三病棟からは私を入れて例の四人だけが廊下伝いに行くのだ。
広い廊下の片側にずらりと並んだ病室の中には、老いも若きも、男も女も、様々な患者が、ジーッと白い天井を見つめていた。その人たちは私達が歩いて医局まで診察を受けに行くのを、さも羨《うらやま》しそうに、眼の玉だけで見えなくなるまで見送るのであった。マダム丘子は、そんな時、わざと活溌に廊下を歩き、「オハヨウー」と大きな声で看護婦や、顔見知りの患者に呼びかけるのだ。
医局に行ってみると、もう四五人の人が来ていて、銘々肌ぬぎになって順を待っていた。
「どうぞ……」
「そう、じゃお先きに……」
マダム丘子は、するっと衣紋《えもん》を抜いて、副院長の前の椅子にかけた。
「いかがです」
「別に……」
きまり切った会話しかなかった。成河《なりかわ》副院長は、懶《ものう》げにカルテを流し見て聴診器を耳に差込んだ。
何気なくその動作を、ぼんやり見ていた私は、その時、はっと、息をのんだのだ。
今日は場所の加減かマダムの上半身の裸像が目の前にあり、挑発するようにクローズアップされたその丘子の胸は結核患者《テーベー》とは思われぬほど、逞しい隆起を持っていた。体全体露を含んだクリーム色の絹で覆われているのではないか、と思われるほど、キメの細かい柔らかな皮膚であった、その上、逆光線のせいか、私のいるところからは恰度その乳房一面に、金糸のような毳毛《うぶげ》が生えてい、両の隆起の真ン中には、柔らかな翳《かげ》を持った溝が、悪魔の巣のように走り凹《くぼ》んでいるのが、これ見よがしに眺められた。私は気のせいか視線がすーっと萎縮するのを感じて、あわてて二三度瞬きをした。その時、隣りに掛けていた青木の、荒い息吹きをも感じた。
×
診察がすむと、私たち四人はその儘、横臥場へ行った。横臥場はサナトリウムのはしにあって、ポプラだの藤だのの下に葦簾《よしず》を張り、横臥椅子をずらりと並べてあった。そこに横になると、恰度目の前にサナトリウムの赤い屋根が、初夏の澄みきった蒼空をバックに、極めて鮮やかに浮出して見えるのであった。
私達はしばらくそこで目を潰《つぶ》っていた、目をつぶると、まるでここが深海の底でもあるかのように、何んの音もしなかった。ごくまれに、むくむくと太った※[#「蠢」の「春」に代えて「亡」、第3水準1−91−58]《あぶ》が、鈍い羽音を響かせながら、もう結実しかけた藤の下を、迷い飛ぶ位のものであった。南風が潮の香をのせてやって来た、それは青々とした海原の風であった。
……暫らく目をつぶっていると、フトどこかで忍び笑うような気がした。眼だけ動かしてみると、隣りの椅子に寝ていた諸口さんが、空を見上げながら、何か、思い出し笑のような、擽《くす》ぐったげな、それでいてどこかで私も経験したような、妙に歪んだ笑い顔を、むりに堪《こら》えているのであった。
(おや)
と思った私は、その儘、眼で彼女の視線を追ってみた。彼女の視線は赤い屋根に突当ってしまった。
(ヘンダナ……)
と思いながらもう一度彼女の視線を追った私は、ハッとするものに突あたった、そして思わずしげしげとそれを見つめたのである。
それは赤い屋根の上、蒼空の中に、大きく浮んだ真白い入道雲であった。むくむくとよじれ登るようなその入道雲は、想像も出来ないような、妙な形を造っていた。
私は諸口さんの忍び笑いの意味がハッキリわかると一緒に、この物静かな、何気ないような肺病娘にも、マダム丘子と似た血潮の流れているのを知って、フトいやあな気持になった。
「エヘン」
私はわざと横を向いて咳払いをすると、
「諸口さん、いい天気ですね……あの雲なんかまるでクリーニングされた脱脂綿みたいに白いですね」
「まあ、いやだ脱脂綿みたいだなんて、そんなこと、いうもんじゃないわよ」
彼女は、あの歪
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