めた顔を、いつの間にかとりすまして、ツン、と蔑《さげす》むようにいった。
私は、
(ふふん……)
と口の中で嗤《わら》いながら、それでも真紅なダリヤの影が映ったのか、心もち紅潮して見える彼女の横顔を、却っていつもより美しいなと思った。
心もち上半身を起してみると、諸口さんの向うにマダム、その横臥椅子にぴったり寄りそうように青木の痩せた体をのせた椅子があった。二人とも目をつぶっていた。マダム丘子のツンと高い鼻の背に、露のような汗が載ってい、無闇やたらに明るい太陽が、あたり一面、陽炎《かげろう》のようにゆれていた。
ギーッと椅子がきしむと諸口さんも半身を起して、私の方に伸びながら、小さい声でいうのであった。
「あたし……なんだか心配になっちまったの……」
「なにが……」
「なにって……段々体が悪くなりそうで……ほんとよ……今にも急に熱が出そうな気がして仕様がないのよ……」
「バカな……そんな心配が熱を出すモトさ……あまりヒマだからだよ、そんなことを考えるより入道雲を見て、勝手な想像をした方が、ずっと体のためだぜ……」
「まア……」
彼女は一瞬びっくりしたような、堅い笑いを浮べたが、
「ひとが悪いわね……」
耳朶《みみたぼ》の辺りのおくれ髪を掻き上げながら軽く睨んだ。
「ははは、……どんなことを考えていたの……」
「……マダムと青木さんのことよ……あんた知ってる」
「何を――」
「あら、知らないの、暢気《のんき》ね」
「仲がいいってことかい」
「その位だったら、皆んな知ってるわ」
「ふん、じゃなんかあんのかい」
「……まアね……あっちへ行きましょう――」
諸口さんは音をたてぬように、椅子から下りると芝生《ローン》を踏んで、池の方に行った。私もそっと立つと、横目でマダムと青木のうつらうつらしているのを確め、すぐあとに続いた。
池にはもう水蓮が蕾《つぼみ》を持ってい、ところどころに麩《ふ》のような綿雲の影が流れていた。
「あれ――って何さ」
「あのね……夜になると……消燈が過ぎてからよ……青木さんがマダムのとこに来るのよ……」
「ふーん」
「そしてね……何すると思って――」
「絵を描きに行くのよ、肌に絵を描きに……つまり、刺青《いれずみ》をしによ……」
「まさか――」
「あら、ほんとよ、だって私の部屋マダムの隣りでしょう、よくわかんの」
「だって、刺青したらすぐ解るだろうに、診察の時……」
「それはところ[#「ところ」に傍点]によるわ……」
「成るほどね、……だけどなんの為に――」
「あらやだ、あたしそんなこと知らないわよ、だって壁越しですもの……」
「ふーん」
「……とっても、親しそうだわ……」
諸口さんは欠伸《あくび》をするように、口へ手をあてた。
「ふーん」
この話を聞いている中《うち》に、私はまだ既《か》つて経験したことのない、激しい不愉快さを覚えた。これが嫉妬であろうか、虫酸《むしず》の走る、じっとしていられないいやあな[#「いやあな」に傍点]感じであった。――考えてみれば私は左程マダムに興味は持っていなかった筈だ、それがどうしたことかこの話を聞くと同時に、青木に対して燃上るような反感を感じて来た。
私は鳩尾《みぞおち》の辺りが、キューっと締って来るのを感じた。そして、
(アンナ青木《やつ》に……)
と思うと、胸の鼓動がドキドキと昂《たか》まって来るのであった……。
その時、重々しく正午の鐘が鳴った。
ふっ、と気がつくと、遠くの病棟の窓から看護婦が、
(お食事ですよ――)
というように、口を動かしながら手を振っているのが見えた。
二、真昼は向日葵《ひまわり》の匂いがする
私は食事中、フト気がつくと視線が丘子の方に向いているのであった。見まい、としても諸口さんから聞いた刺青のことが気になって、つい丘子の一挙一動に気を奪われてしまうのであった。
暑くなったせいか、近頃メッキリ食慾のないらしい丘子は、うるんだような瞳をして食卓に肘をついていた、そして突然、何を思ったのか「ユーモレスク」の一節を唄い出したのであった。
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月の吐息か 仄かな調《しらべ》は
闇をば流れ来て 侘《わび》しいこの身の
悶《もだ》ゆる心に 響け 調よ。
密やかに慕寄る 慰めの唄
されど尚人知れず 泪《なみだ》さそう詩よ
[#ここで字下げ終わり]
唄いながら、彼女の眼は妖しく光って来た。不思議なことに、泪を泛《うか》べているのかも知れない。
「ねえこの唄どう思って……」
「どうって……」
「あたし、この唄青木さんから教わったんだけど、『肺病の唄』だと思うわ」
「その文句ですか」
私はそのあまり突飛な言葉に、呆気にとられて訊いた。
「いいえ、――それもだけど――このメロディよ、ね、よく聞い
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