感するだろう、それは、マダム丘子を誰の妾だと思う。河村鉄造――つまり君の厳父の第二号なのだ。おそらく君は知るまい、しかし丘子の長い入院中タッタ一度でも彼女の家人が来たことがあるか、マダムと称しながら、そのハズを見たことがあるか、あるまい、それは君に逢うことを恐れているからだ。勿論君の厳父の方からはしばしば彼女が他のサナトリウムに変ることをすすめて来た、だが彼女は動かなかった……それはこの僕がいるからだ、も一つ君がいるからだ……君がここにいればこそ僕たちは何んの邪魔ものもなく恋を楽しむことが出来たんだ、人のいい杏二君、君は期せずして僕たちの恋の防波堤となってくれたのだ、ありがとう、厚く感謝する……ダガ矢ッ張り僕たちには悲しいカタストロフが待っていたんだ……、僕は最近再発に悩まされていた、僕の胸はもう数限りない毒虫にむしばみつくされようとしている……左様、僕たちの恋は眠っていた結核菌を呼起してしまったのだ……体温表の体温は、まるで僕のデタラメなのだ、僕のデタラメを雪ちゃんが正直に表につけていたに過ぎない……
僕は自分の残り尠《すくな》い命数を知るにつけても何か焦慮を覚えるのだ、僕は自身でも惚々《ほれぼれ》するほどの作品を残したかった……そして到々決心した、この世の中で最も尊いカンヴァス、つまり丘子の薄絹のような肌に、全精力を傾注した作品を描こうと決心した……幸い丘子もそれを許してくれた。「蔭の男」僕を象徴するように、お白粉《しろい》で刺青をした……お白粉で入れたやつ[#「やつ」に傍点]は、ふだんはわからないけれど風呂に這入ったり、酒をのんだりして皮膚が赤くなると仄々と白く浮出すのだ……恰度酒を飲むと昔の女を思い出すように……
僕はそこに白い蛾を彫った、毛むくじゃらな、むくむくと太った蛾を一つ……その蛾の胴の太さ、その毒粉をもったはねの厚さ……その毒々しい白蛾が彼女の内股にピッタリ吸ついて、あたかも生あるもののように、その太い胴に波打たせている……いやその蛾には生命があるのだ、この青木雄麗の生命の延長がそこに生きているのだ……。
ダガ、ダガ、最近になって、僕は極めて不愉快なものを感じたのだ、それはどうやら君が丘子に普通以上の関心を持ちはじめたらしいこと、そして尚いけないことは丘子にもどうやらそんな素振りが見えないでもないことだ。それはそう思う邪推とは言い切れないものがあるのだ。何故なら丘子は最近どうも以前ほど僕に対して熱情的でないからなのだ……僕は焦った、悩んだ、その為か、僕の体は、僕自身ハッキリ解るほど悪化して行った――近頃僕が「なんともない」といって診察を受けなかった意味がわかったろう――呼吸は自分でもわかるほど熱くさい、僕はもう自暴自棄だ……一そ丘子を殺《や》って僕も……君、わかってくれるだろう、放っておいても、そう長くはない僕の命だ……
僕は最後の仕上げだといって、嫌がる彼女に、半ば脅迫的に最後の針を刺した。その絹糸針を五本たばにしたぼかし[#「ぼかし」に傍点]針の先きには劇毒××がつけてあった、君も知っているだろう、その××は血液の凝固性を失わせる薬だ、一度何かで出血したら最後血友病のように、どんどん止め度なく出血して死んでしまう……僕は丘子の体の具合を知っていたんだ、これで総《すべ》て君にも解ったろう……だが一つ、何故こんな無理心中をするに手ぬるい手段をとったのか……ああ、青木呪われろ……僕には君にも解るだろうけどこの患者特有の強い生への執着があったんだ……もし丘子の死因が疑われなかったら、僕はまだ君と話をしていたかも知れぬ。そして君に対して第二の争闘を計画していたかも知れぬ。……しかし悪いことは出来ぬ、丘子はあの悪魔の唄に誘われて喀血してしまった……ああなんという大変な間違いをしてしまったんだろう、彼女が僕に対して情熱を失ったと、思ったのは僕の大きな誤解であった。彼女はホントに体の具合が悪かったのだ、気分の悪いのを堪《こら》えているのが、狂った僕にはよそよそしくとしか写らなかったのだ。丘子は矢ッ張り僕を愛していてくれていたんだ、僕はそれを君に言いたかった――だが、その彼女を僕は殺してしまった。……もう書くのが面倒になった、この手紙を君が読む頃はもう僕はこの世にいまい、涯《はて》しない海原が、僕を待って騒ぎたてている。
では厳父、鉄造氏によろしく。
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[#地から1字上げ]青木雄麗
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 読み終った私は、よろよろっとベッドに倒れた、そしてがたがた顫える手で薬台の抽斗から赤い包紙に包まれた催眠薬を三つとり出すと、一気にグイと呷《あお》った。いまにも目がくらみそうな、激しい興奮に、とても起きてはいられなかったのだ。
 ザラザラっと薬が咽喉に落込むと、ツーンと鼻へ罌粟《けし》のような匂いが抜
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