滲《にじ》み拡がった。
(喀血!)
 三人は、ハッと飛上った。ガタンと物凄い音がして椅子が仰向《あおむけ》にひっくりかえった。
「……看護婦さん……看護婦さん……」
 諸口さんは胸のあたりに顫《ふる》える両手を組合せた儘、蒼白な顔をして呟くように看護婦を呼んでいた。
「マダム、大丈夫、大丈夫」
 青木は急いでテーブル・クロスを引めくると、丘子の胸元に挿《はさ》んだ。
 俯伏になった丘子の背は、劇しく波打って、咽喉にからまった血を吐出す為に、こん限り喘《あえ》いでいた……。
「大丈夫です、落着いて、落着いて――」
 飛んで来た主任看護婦が馴れた手つきで彼女をささえた。
 ……やっと面《おもて》を上げた丘子の眼は、眼全体が瞳であるかのように泪にうるんで大きく見開かれあらぬ部屋の隅を睨んでいたが、やがて私たちに気がついたのであろうか、絶入るような、低い、薄い笑いを見せた。その時、わずかに綻《ほころ》んだ唇の間から真赤な残り血が、すっと赤糸を垂らしたように流れ落ちて、クルッと鋭《とが》った顎の下にかくれた。
 看護婦にうながされて、私たちは匆々《そうそう》とサン・ルームを出て横臥場に行った。
 一足外に出ると、外はクラクラするような明るさで鋭《とが》り切った神経の三人は、思わずよろよろっと立止ってしまった。太陽は腐《す》えた向日葵《ひまわり》のように青くさく脳天から滲透《しみとお》った。
       ×
 崩れるように横臥椅子に寝てしまうと、誰も口をきかなかった。
 目をつぶった儘、しいて気を静めようとしても、異様に昂ぶった神経は、却って泡立つ鮮血とあの気味の悪い“ユーモレスク”が思い出されるのだ、唄うまい、としてもその旋律が脈搏に乗って全身に囁きわたるのであった。
 長いこと転々としてその昂ぶった神経を持てあましながら、ラッセルのように懶《ものう》い※[#「蠢」の「春」に代えて「亡」、第3水準1−91−58]《あぶ》の羽音を、目をつぶって聞いている中に、看護婦が廻って来た。
「三時ですわ、お熱は……」
「あ、忘れてた……今はかるよ、マダムどう――」
「はあ……」
 私は体温計を脇の下に挿込みながら、その見習看護婦雪ちゃんの子供子供した顔から、
(マダムは悪いナ……)
 と直感した。
「恰度、お体の悪い時なので、なかなか出血が止まらない、と先生が仰言《おっしゃ》ってました
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