て御覧なさいよ、あの体温表のカーヴとこのメロディと、ぴったり[#「ぴったり」に傍点]合うじゃないの、高低抑揚が、恰度あの波形の体温と吃驚《びっくり》するほど、ピッタリ合うじゃないの……」
「そう……そういえば成るほど……」
「あたし、この唄、唄うと、とても怖いの……だって
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密やかに慕寄る 慰めの唄
[#ここで字下げ終わり]
っていうところに来ると、急に調子が上るんですもん……熱でいえば四十度位になるんだわ……恰度あたしその高くなるところに来たような気がするの、きっと今にも熱がぐんぐん上るわ……」
こういってマダム丘子は、いつもの朗らかさに似合わぬ、荒涼とした淋しさを、美しい顔一杯に漾《ただよ》わすのであった。
(なァに、いくらか体の変調のせいだろうさ……)
と思いながらも、私自身、ついその気味の悪い唄を口吟《くちずさ》んでいた。成る程、その楽譜に踊るお玉杓子《たまじゃくし》のカーヴは正弦波《サインカーヴ》となって、体温表《カルテ》のカーヴと甚しい近似形をなしていた。
結核患者《テーベー》の妄想的不安と思いながらも、ハッキリ否定することの出来ぬこの患者独特の潜在恐怖と、極めて尖鋭された神経の痙攣を半ば不安な気持で、じっと見詰めているより仕方がなかった。
この麗魔のように思われていたマダム丘子にも、こんな末梢神経的な、それでいて、居ても立ってもいられない恐怖を持っているのかと思うと、既《か》つて考えても見なかった可憐な女性を、そこに感ずるのであった。
青木も、諸口さんも黙っていた、しかし皆の胸の中には一勢に、あの平凡な、そして奇怪な旋律をもった「ユーモレスク」の一節が、繰かえし、繰かえし反復されていたに違いない……。
×
「さあ、安静時間だから横臥場へ行きましょう……いい天気だなア……」
私はその場のヘンな空気をかえようとして、わざとドンと卓子《テーブル》を叩いて立った。
「そうね――」
諸口さんも、ハッと眼を上げて腰を浮かせた。
その時だった。
ググググッとマダムが咽喉《のど》を鳴らすと、グパッと心臓を吐出すような音をたてて、立ち上りかけた卓子に俯伏《うつぶせ》になった。
「あ」
と思った瞬間、俯伏になったマダム丘子の口元から透通るような鮮やかな血潮が泡立ちながら流れ出、真白い卓子にみるみる真赤な地図を描いて
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