ぐ解るだろうに、診察の時……」
「それはところ[#「ところ」に傍点]によるわ……」
「成るほどね、……だけどなんの為に――」
「あらやだ、あたしそんなこと知らないわよ、だって壁越しですもの……」
「ふーん」
「……とっても、親しそうだわ……」
 諸口さんは欠伸《あくび》をするように、口へ手をあてた。
「ふーん」
 この話を聞いている中《うち》に、私はまだ既《か》つて経験したことのない、激しい不愉快さを覚えた。これが嫉妬であろうか、虫酸《むしず》の走る、じっとしていられないいやあな[#「いやあな」に傍点]感じであった。――考えてみれば私は左程マダムに興味は持っていなかった筈だ、それがどうしたことかこの話を聞くと同時に、青木に対して燃上るような反感を感じて来た。
 私は鳩尾《みぞおち》の辺りが、キューっと締って来るのを感じた。そして、
(アンナ青木《やつ》に……)
 と思うと、胸の鼓動がドキドキと昂《たか》まって来るのであった……。
 その時、重々しく正午の鐘が鳴った。
 ふっ、と気がつくと、遠くの病棟の窓から看護婦が、
(お食事ですよ――)
 というように、口を動かしながら手を振っているのが見えた。

     二、真昼は向日葵《ひまわり》の匂いがする

 私は食事中、フト気がつくと視線が丘子の方に向いているのであった。見まい、としても諸口さんから聞いた刺青のことが気になって、つい丘子の一挙一動に気を奪われてしまうのであった。
 暑くなったせいか、近頃メッキリ食慾のないらしい丘子は、うるんだような瞳をして食卓に肘をついていた、そして突然、何を思ったのか「ユーモレスク」の一節を唄い出したのであった。

[#ここから2字下げ]
月の吐息か 仄かな調《しらべ》は
闇をば流れ来て 侘《わび》しいこの身の
悶《もだ》ゆる心に 響け 調よ。
密やかに慕寄る 慰めの唄
されど尚人知れず 泪《なみだ》さそう詩よ
[#ここで字下げ終わり]

 唄いながら、彼女の眼は妖しく光って来た。不思議なことに、泪を泛《うか》べているのかも知れない。
「ねえこの唄どう思って……」
「どうって……」
「あたし、この唄青木さんから教わったんだけど、『肺病の唄』だと思うわ」
「その文句ですか」
 私はそのあまり突飛な言葉に、呆気にとられて訊いた。
「いいえ、――それもだけど――このメロディよ、ね、よく聞い
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