物の無きをわが世と知りしより心も安し事も足らひぬ

尊しなひと日三たびの食物《をしもの》を命のためと誰《た》がめぐむらん

来ん世はあれかりのうき身もたふとしな鳥獣《とりけもの》にも生れざりしは

来ん世をば何か歎かん心よりおくにたのしき道はありけり

斧の柄の朽ちし昔を思ふにも世や長かりし山に住む身は

世をわたるたつきも知らぬ身にしあれど心一つは楽しくぞ思ふ

天地は物こそ言はね四つの時いやつぎつぎに事は足らひぬ

つくづくと思へば安きわが世かな成らぬを捨てて成るに任《まか》せば

世に洩れてすぐすは安し痩畑《やせばた》に人の捨てたる老茄子われ

歎かじな定めなきこそ世の中の変りてめぐる姿なりけれ

身を悔いば限もあらじおむかしく思ひくらせば楽しくありけり

さびしさを心としめし柴の戸を敲くと思へば山の松かぜ

うつらうつら月日ゆくこそ楽しけれ世に滞《とどこほ》る心は無しに

やがて尽きんわが世うれしな父母の跡慕ふべき日も近づきぬ

七十路を四つ越えしこそ嬉しけれ猶生きば生き今死なば死ね

われ老いぬ年は七十ぢ四つ越えぬ今は世になき身ぞと思はん

消えはてて跡なき身こそうれしけれ浮
前へ 次へ
全79ページ中65ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 礼厳 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング