能寺に養子となられし頃、一男あり、響天と云ひ、大都城氏を襲げり。京に来り、山崎氏を娶りて大圓、照幢、巖、寛、修の五男、靜子の一女を挙げられたり。大圓は和田氏を冒し、照幢は赤松氏を冒し、寛は家を襲げり。
一、此集に父の写真を載すると共に、記念として母の写真をも載せたり。母、名は初枝、天保十年二月二十一日京都の商家山崎氏に生れ、明治二十九年九月二日五十八歳を以て身まかり給ひき。人となり、都雅快濶にして細憂に拘拘たらず、貧寒の間に居りて絃を弾じ、大津絵を歌ひ、奇謔常に人の頤を解けり。
一、また、此集に挿みたる父の筆蹟の初なるは壮年の頃の詠草、次なるは晩年の詠草及び短冊なり。
   明治四十三年七月十五日、
[#地から7字上げ]東京駿河台に於て、  
[#地から2字上げ]與謝野 寛しるす。
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  禮嚴法師歌集

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わが嗔恚のこころを戒めて。
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かりそめに土水《つちみづ》火風《ひかぜ》もて造る身ぞと思へば何か嗔らん

毒を持ついかり心に世の中の人を害《そこな》ふ毒虫《どくむし》ぞわれ

風に散
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