後の幼名は儀十郎と云ひし由を語れりと、従姉細見千枝より報じ来れり。
一、また、父が若狭国の専能寺に養はれ給ひし頃男響天に先ち一女峰野を挙げられしが、二歳にして夭折せし由、兄響天より報じ来れり。
一、此集の三十二頁なる大圓の清国に赴きけるをしのばれし歌の中に「子のかみをいくさにやりて山里に風の吹く日は物をこそ思へ」と云ふ一首ありしを、印刷の際脱漏せり。
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底本:「明治文学全集64 明治歌人集」筑摩書房
1968(昭和43)年9月25日第1刷発行
底本の親本:「禮嚴法師歌集」新詩社
1910(明治43)年8月
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。固有名詞も原則として例外とはしませんでしたが、人名のみは底本のままとしました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:武田秀男
校正:Juki
2004年6月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.a
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