られた負傷《ておひ》の姿であつた。
傷《きず》は薩州|邸《やしき》の口入《くちいれ》で近衛家の御殿医《ごてんゐ》が来て縫《ぬ》つた。在所の者は朗然和上の災難を小気味《こきみ》よい事に言つて、奥方の難産と併せて沼《ぬま》の主《ぬし》や先住やの祟りだと噂した。もともと天下を我家と心得て居《ゐ》る和上《わじやう》は岡崎の土地などを眼中に置いて居ない所から、在所の者に対して横柄《わうへい》な態度《たいど》も有つたに違ひ無い。其上《そのうへ》近年は世の中の物騒《ぶつさう》なのに伴《つ》れて和上の事を色々《いろ/\》に言ふ者がある。最も在所の人の心を寒からしめた馬鹿々しい噂は、和上は勤王々々と云つて諸国の浪士に交際《つきあ》つて居《ゐ》る。今に御寺の本堂を浪士の陣屋に貸して、此の岡崎を徳川と浪士との戦場《いくさば》にする積りだらう、と云ふ事である。で何かに附けて在所の者は和上を憎んだが。檀那寺《だんなでら》の和尚では無いから、岡崎から遂ひ出す訳《わけ》にも行か無かつた。
和上と奥方との仲は婚礼の当時から何《ど》うもしつくり[#「しつくり」に傍点]行つて居無かつた。第一に年齢《とし》の違《ちが》
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