》の居間だ。其の間《あひだ》から長押《なげし》に掛けた晃の舶来の夏帽が目に附く。覗《のぞ》いて見たが、晃《あきら》兄《にい》さんは居無い。台所の方《はう》へ走《はし》つて来た貢さんは、其処に阿母さんが見えないので、草履を穿《は》いて裏口《うらぐち》から納屋の後《うしろ》へ廻つた。阿母さんは物干竿《ものほしざを》に洗濯物を通して居る。
『阿母さん、晃《あきら》兄《にい》さんが帰つたの。』
阿母さんは一寸《ちよつと》振返つて貢さんを見たが、黙《だま》つて上を向いて襁褓《おしめ》の濡れたのを伸《のば》して居《ゐ》る。
『晃《あきら》兄《にい》さんの帽が掛かつてましたよ。』
と鄭寧《ていねい》に云つて再び答《こたへ》を促した。阿母さんは未だ黙《だま》つて居《ゐ》る。見ると、晃《あきら》兄《にい》さんの白地《しろぢ》の薩摩|絣《がすり》の単衣《ひとへ》の裾《すそ》を両手で握《つか》んだ儘阿母さんは泣いて居る。貢さんは、阿母さんの機嫌を損じたなと思つたので、徐《そつ》と背《せな》を向けて四五|歩《あし》引返した。
『貢《みつぐ》さん。』と阿母さんの声は湿《うる》んで居る。
『はい。』
『お前はね
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