くえ》を届けて来るからね、よく留守番を為《し》てお呉れ。御飯《ごはん》には鮭《さけ》が戸棚にあるから火をおこして焼いてお食《た》べ。お土産《みや》には山鼻《やまはな》のお饅《まん》を買つて来ませう。』
『お日様《ひさん》の暮れぬ内《うち》に帰つて頂戴よ。』
貢さんは井戸端へ下りて自分で水を汲んで顔を洗つた。其れから畳《たヽみ》の破れを新聞で張つた、柱《はしら》の歪《ゆが》んだ居間《ゐま》を二つ通《とほ》つて、横手の光琳の梅を書いた古《ふる》ぼけた大きい襖子《ふすま》を開けると十畳敷許の内陣《ないぢん》の、年頃|拭込《ふきこ》んだ板敷《いたじき》が向側の窓の明障子《あかりしやうじ》の光線で水を流した様に光る。幾十年と無く毎朝《まいあさ》焚《た》き籠《こ》めた五|種香《しゆかう》の匂《にほひ》がむつ[#「むつ」に傍点]と顔を撲つ。阿母さんが折々一時間も此処《こヽ》に閉ぢ籠《こも》つて出て来ぬ事がある丈に、家中《うちヾう》で此《この》内陣計りは温《あたヽ》かい様《やう》ななつかしい様な処だ。貢さんは黒塗《くろぬり》の経机の前の円座《ゑんざ》の上に坐つて三度程|額《ぬか》づいた。
『南無、南無
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