報知《しらせ》は、其の時々《とき/″\》に来たが、少《すこ》しの仕送《しおく》りも無いので、奥方は嫁入《よめいり》の時に持つて来た衣服《きもの》や髪飾《かみかざ》りを売食《うりぐひ》して日を送つた。実家《さと》の方は其頃|両親《ふたおや》は亡くなり、番頭を妹に娶《めあ》はせた養子が、浄瑠璃に凝《こ》つた揚句《あげく》店《みせ》を売払つて大坂へ遂転したので、断絶同様《だんぜつどうやう》に成つて居る。在所の者は誰も相手にせぬし、便《たよ》る方《かた》も無いので、少しでも口を減《へ》す為に然《さ》る尼《あま》の勧《すヽ》めに従つて、長男と二男を大原《おほはら》の真言寺《しんごんでら》へ小僧《こぞう》に遣《や》つた。奥方の心では二人の子を持戒堅固《ぢかいけんご》の清僧《せいそう》に仕上げたならば、大昔《おほむかし》の願泉寺時代の祟《たヽ》りが除かれやう、沼《ぬま》の主《ぬし》も鎮《しづ》まるであらうと思つたので、開基《かいき》と同じ宗旨《しうし》の真言寺《しんごんでら》と聞いて、可愛《かあい》い二人の子を犠牲《いけにへ》にする気で泣き乍ら手放《てばな》した。
 明治五年の夏、和上は官界を辞して
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