林檎と蜜柑、
梨、
其等の静物とが
見とれる如く、あまえる如く、
誘《さそ》る如く、
熱い吐息《といき》を彼れに投げ掛ける如く、
彼れの一挙一動に目を放さぬ如く、
我が美くしいナルシスの画家を取巻いて居る。
そして一方《いつぽう》の
南向《みなみむき》の窓の硝子越しに、
四月の巴里が水色に霞んで、
低く、低く、海のやうに望まれる。
正面に近く脂色《やにいろ》をしたのがオペラだ、
左に遠く、ちいさく、日を受けて
うすもも色をしたのがノオトル・ダムだ。
僕はモンマルトルの中腹の、
六階の画室《アトリエ》に居ることを忘れて、
ふと巴里の空《そら》の上を飛んで居る気がした。
友は壁のあなたの厨《くりや》から
珈琲《カツフエ》を煮て持つて来た。
そして稿本《マヌスクリイ》を手にしながら
「聞いてくれたまへ」と会釈《ゑしやく》して、
日本文に新しく訳した「エディプ王」を読み上げた。
水晶質の明るい声が
老優ムネ・シュリイの調子で昂《たか》まり、震《ふる》へる。
底本:「科学と文芸」交響社
1915(大正4)年10月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針
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