そして巴里や羅馬を観て来た後にも、
やつぱり南洋を羨しいと思つた。
なぜだ?
人性《じんせい》を剥《む》き出《だ》しにして、
真実《しんじつ》の愛《あい》と戦闘とに力一ぱい生きる、
自由な世界としては、
巴里も羅馬も南洋の島も異《かは》りがないからだ!
おれはあたふたと南洋館を出てしまつた。
おれは福引に急ぐ、秩序のない、
有象無象《うざうむざう》の込み合ふ中《なか》を、子供を伴れて、
右に縫ひ、左に縫ひして歩いた。
それでも可なり大勢《おほぜい》に衝突《ぶつゝか》つた、
こんな場合に PARDON《パルドン》 を言ひ合はないのが大日本《だいにほん》だ!
そして、やつとのことで上《うへ》を向くと、
おれの目に入《はい》つたのは、
煤煙《ばんえん》で枯された梢《こずゑ》と、
――欧州では独逸の一部でしか見当らない式《しき》の――
厭《いや》なセセツシヨンの建築と、
松井須磨子と云ふ女優の看板だ。
「父さん、早く帰りませうよ。」
「よし!」
[#地から2字上げ](一九一四、八、二四)
[#ここで字下げ終わり]
底本:「反響」反響社
1914(大正3)年10月号
※「旧字、
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