保雄を顧みた。
『ここに。』
と言つて美奈子は帯の間から鍵を出して良人《をつと》に手渡した。其れが如何にも苦しく怨《うら》めし相な目附であつた。

    (四)

箪笥の上の抽出《ひきだし》からは保雄の褻《け》にも晴《はれ》にも一着しか無い脊広が引出された。去年の暮、保雄が郷里の講習会に聘《へい》せられて行つた時、十二年|振《ぶり》に初めて新調したものだ。其の洋服代も美奈子が某《ばう》新聞社へ売つた小説の稿料の中から支払つたので妻が夜《よ》の目も眠らずに働いた労力の報酬の片端である。又一枚しか無い保雄の大島の羽織が抓《つま》み出された。是《これ》は亡くなつた美奈子の父の遺品《かたみ》だ。保雄も美奈子も八九年間に一枚の着物すら新調した事は無いのである。保雄が執達吏の目録を覗《のぞ》いて見ると、
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
一、大島紬羽織一点見積代金参円
一、霜降セル地脊広一着見積代金二円
[#ここで字下げ終わり]
と書かれた。縁《えん》の方へ廻つて八歳《やつつ》に成る兄と六歳《むつつ》に成る弟とが障子の破れから覗《のぞ》いて居る。
[#ここから改行天付き、折り返して2字
前へ 次へ
全18ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング