と思ってね。」
「ホホホ……こんな料理は奥様方のなさることじゃこざいませんわ、第一指から先に染まってしまいますものね。……部長さん、貴方は、お退屈しのぎに私をわざわざ雑談にお呼びになりましたの。喫煙室にはお話の合う方もいらっしゃいますわ。欠勤している方もあるものですから、とても部屋が混雑してますの、御用件の向はそれだけですの?」
「成程、あんたは仲々と仕事に忠実だね。併し、私が暇をさしあげる。悠っくり此処で、話しましょう、相談するには、此処が一番静かでいい。」
「相談? 何のですか?」
心臓の位置が前へとび出した。
「何ァに、その大したことじゃないよ。実は、その、あんたの係長からも話されたことなんだがね。その、あんたは染まり過ぎてるそうだな。つまりお料理の達人だそうだね。ほんとかい。いや、私は、私一個の意見としては、研究は個人個人の自由にまかせ度いのだが、どうも、そこの特高からやかましく忠告がくるのでな。何も好奇《ものずき》で注意人物を使用するにもあたらん、と、こういうようなわけで、ハハハハ、尤もなことを云うよ。それに、庶務部長や秘書からも内々話があったような次第でね、実に遺憾だが、その、やめて貰わんとなァ……」
「それが理由なんですか?」
「そうだよ。つまり、その、あんたの腕が禍いしたんだな。銀行《うち》の人達ァあんたの料理じゃ気に喰わん、とこういうのだよ。他に伝染しないうちに、あんたを追放しようとするんだね。ハハハハ……」
――喜劇も俗悪になるとみちゃいられないな――と、槇子は思った。併し、ともかく彼女は安堵した。自分一人の犠牲位、前々から覚悟している。
又、こうなるように、自分だけが外面《そと》で活動を続けてきたんだ。一本の指が切られたって、残った九本はやはり活躍するにきまっている。それに血管が作用してる限りは……
「一体、あんたはどういう気持で連盟とやらへ出入したり、研究会で喋べったりしなきゃならんのだね。いや、私はあんたの立場は一応領ける。併しだ、あんたのような優れた縹緻《きりょう》の御婦人が何もわざわざ労働者の中へ這入《はい》っていくにもあたるまい。あんた達は、空想化した奴等をみとるよ。もしも、ほんとに奴等の生活を覗いたら、あんた達は身慄いして逃げてしまうにきまってるよ。奴等ときたら、不品行で、無学で、不躾で、その上慾張りな豚のような代物さ。何も、
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