にたとえようもありませぬ。
きけば、おたがいの同情が溶け流れて深間へ落ちこんだとか、良人は生来の正直もの故、あったことのありったけを語りきかせたい素ぶりに、過ぎたことはもうそのままに……と無理にもおし止め、奥様には何事もきかず知らん顔、いつものようにお針でまめに仕えている一方、良人には幕内の気安さを説き、丁度、常磐座へかかっていた沢村海老蔵一座に話してみたところ、役者の足りないところとて早速の承諾、良人も新らしい希望にもえ立って一座の人となりました。
思えば、このわたくしが小娘の頃、良人の舞台姿にこがれて夜毎々々通いづめ、いま奥様の心情をその当時のわたくしに移しかえてみぬ訳ではありませんが、何んとしても殺し切れないものは嫉妬の虫ばかり、それからは奥様とわたくし共の間がしっくりゆかず、一座が福島を旅立つにつれて、わたくし共もお邸をおいとますることになりましたが、別れしなに奥様は鶴江に何か買うてくれ、とて二十円も包んで下さり、何事も何事も水に流して、わたくしも奥様には悪気はもたず、有りがたさにおし頂いてお邸を出たことでございます。
涼しくはなりましたし、良人も病気上りの目立つ程に肥え
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