とも岡村からの知らせで始めてわかったようなものでした。伯母のいる頃、良人は一、二度遊びにいったこともあるそうですが、金貸しをして居り、何せ評判の倹約家で、ものにすたりはないと言い、一本の爪楊枝も無駄にはせずささくれたら又削って楊枝入れへさしておく、といった調子、便所へは新聞紙を小さく切って入れておくのだそうですが、その減りかたが激しいといって伯母などよく叱られていたそうです。朝晩芥箱をのぞくのはおきまりで、自分で考案した竹の鋏で何や彼やを拾ってきては、勿体ない、を言いつづけ、大根の尻っぽや人蓼の皮まで、味噌汁のだしにしたりして用立て、人からきた手紙の封筒やかん袋など裏がえして帖面にとじておく、というような気のつき様、噂をきくさえ嘆じいる他はありません。
良人の話ですと、戸部の伯父は何んでも抵当流れで儲けたんだそうですが、その抵当物の鑑定のかけひきの骨《こつ》は誰れにも掴み得ないとのこと、資産も莫大なものだろうなど申して居りました。
何はともあれ、戸部の伯父が大隅にいるということは仕合せなことだ、と良人は悦びいさみ、何んとかおすがり申してくるからと躯に元気をつけて大隅まで出かけていったのです。珍らしいから、一ト晩ぐらいはひき止められるかもしれない、と言いおいて出かけましたのに、暮れきらないうちにしょんぼり皈ってまいりました。話をきくと、伯父はともかく悦んではくれたそうですが、伯母のあとには後妻が入っていて二人の子まであり、伯父と良人が話している傍から離れずにいるものです故、何んとなく部屋の空気が堅くるしく、金の話をせずにきたとの事、折角の足代も無駄になったというもの、仕方なく一時の融通かたをたよりで頼むと、大方どこぞよりきた手紙らしいペン字で書いた罫紙の裏へ筆太に書かれた返事には、お民がいない今は貴方と自分とは何らのつながりもない他人である事、金を融通してくれとの話であるが何か抵当物をお持ちか、自分は小口は余り好ましくないが、まア昔の縁故もあることだし話には乗ってみよう。但し日歩は十銭がぎりぎりだ、というような商談だけがしるされてありました。
大隅には後妻の里があり、戸部の伯父は大きな農園をもそこで経営しているとのことです故さぞ立派な財産をおもちでしょうものを、今更羨やんだところで詮ないことでございます。世の無情に泣きくれる良人をみては、わたくしとて生き甲斐のあ
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