とても難かしく、病める父と病める母が交る交る抱いて明しましたのも幾夜でしょう。太夫元からは鶴ちゃんの病状が病状故若し避病院へでもやられては興行をさし止められるから、とて医者にかけるのを拒まれたり、そのつらさといったら申し様もございません。
その上に、あね様、わたくしと鶴江の病気のみなればまだしもですが、肝心働き手の良人に寝つかれてしまっては……当分は体がほんものにならぬとみてとるや、今日《こんにち》の物価の高いのに親子三人を遊ばせて食わせておくのを怖れた座元は、何んたる無情でしょう、南那珂郡福島という地、日向の南のはずれ大隅と隣接する一寒村に我々を置き去りにし、自分らのみ鹿児島へと乗りこんでしまいました。
ああ、その時の心細さ、初めて入りこんだ土地風俗も分らぬ九州の南の端しに病める親子三人が残された時の心地お察し下さいませ。
良人は水に不慣れのため脚気みたようになり杖にすがらねば歩けず、わたくしは立ちくらみする程の貧血衰弱、鶴江は坐わる力なき程衰えて居ります有様は何んの罰か報いかと思われ、何度、親子心中をねがったかしれません。
耐えかねて再び父の許にすがってやりましたが、父からは何んとも言うてはこず、母からの返事に、夫婦ひき分けて、鶴江は自分らが引きとり、わたくしをば再縁させるつもりのところ、わたくしが言うことをきかず、親すら捨てて一緒になった良人故苦労は覚悟の前、と言ってやって以来、父の怒りがとけず、親でもない娘でもない間柄で金の無心などきいてやる訳がない。苦労苦労言うても、自分から好きこのんでする苦労ではないか、と相かわらずの一徹さ、口では喧ましく言うても親爺さんも何せ年をとりなすったから……とのたよりに、ただ訳もなく泣けて泣けて……。巻紙の中には七円入っていましたが、これだけ集めるのにどんなにか母は心を痛めたことでしょう。さしずめ宿賃や米代の払いにし良人の体がすこしでも快くなったら売られるものは売り払って久留米辺りまで出よう、と語り合っている内に、岡村のあに様よりたよりがあり、大隅にいる戸部の伯父を訪ねてみてはどうか、と知らせてまいりました。
あね様にはまだお話してなかったと思いますが、戸部の伯父というのは良人の実の伯母のつれあい[#「つれあい」に傍点]なのです。伯母が亡くなってからはここ七八年もゆき来をせず、久留米をひきはらって大隅へ移ったというこ
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