頂くにはそれよりみちがないでしょう」
 姉は云いきかせるような口振りになった。それへ妙に反撥するようなものが紀久子の裡に頭をもたげた。
「でも、それはお姉さんの独り決めではなくって」
「いいえ、そうしたものよ。あなただっていまに分ります」
 姉の悟り切った強腰なもの云いに紀久子は少時気圧された。そのまま黙りこんだ自分が少々忌々しくもあるが年齢でものを云われては勝負にならぬ、とこっそり舌を出し、それで腹いせをした気になった。
 姉は新潟のおきえさんの話をした。おきえさんならお父様のお気にいりだし、とつい口をすべらせて少し赤くなった。そして窓の方へ眼をやりながら続けた。お父様は気難しいからわたしたちで探そうと思っても仲々適当なひとがみあたらない。おきえさんなら家との旧い馴染みだし、お父様の気心をよく呑みこんでいなさるしするから家のものにとってもこれ程結構な話はないと思う。――姉はこんな意味のことを静かに話した。姉の話は控え目で、あくまでも子として年老いた父を想う心情から発動している熱心さが感じられた。紀久子は動かされた。だが、少し経ってから、動かされたと思ったのは自分の顔だけだと気付いた。
 姉の話はよく分る。父の気もちも分らぬではない。けれど、それを素直にうけいれる事が何故か自分には出来ない気がするのだ。父ははな[#「はな」に傍点]からおきえさんを家へいれたがっている。その父の意をくんだ姉が、やがて自分たちを口説き落しに来るだろう。――そんな予想が、母が亡くなってからというもの紀久子の裡には凝り固まっていた。
 想像の中の父はいつも不機嫌な煮え切らない態度でむっつりとしている。
「おれはこんな気性だから、若いものたちとはどうもうま[#「うま」に傍点]が合わないで困る」という。「年寄りの気心は若いものには分らんものとみえてな」ともいう。
 父の口裏を呑みこんだ姉はおきえさんをお迎えしたら、と勧める。
「そんなことは出来んだろう」と父は不機嫌な顔を誇張して何かぐずぐずと外方をみている。父の様子には全《ま》るで、「そんなにおれのことが気になるならお前の口で話をまとめてみるがいいじゃないか。どうだ」と姉を窺っているようなところがみえる。――
 今までこの想像に慣らされ続けてきた紀久子にとっては、これはもう想像ではなくなっている。姉の来訪は不機嫌な父の態度に強いられたものだとの感じが強い。そして、姉の声をかりた父に自分が説き伏せられているような気がして、どうにも素直には頷けなかった。
「お父様もお年を召していらっしゃるし、静かなお話相手が欲しいのね」
 姉は気を詰めて話していたせいか、疲れた様子になった。それをみているとさっきの強腰なもの云いがいよいよ作りものの感じがして、姉が少しばかり気の毒になった。それで、
「お話相手なら飯尾さんがいてよ。少々賑やかですけど」
 と笑いかけると、
「飯尾さんじゃ、お父様がお可哀そうよ」
 と姉はつられて笑った。
 福が鮨の鉢をはこんで来た。
「お父様へはそのうちわたしからお話しますからね」
 姉は鮨を食べ終わると時計を気にしながらこう云い置いて皈《かえ》って行った。

     二

 間もなく、そこの表通りで麻布の奥様にお会いしました、と云って飯尾さんが戻って来た。手にした切り花を仏壇に供え、その前に坐って永いこと手を合せてから、これでお役目がすんだ、というような小ざっぱりとした顔つきで火鉢のはたへ坐りこんだ。
「麻布の奥様は何か御用でお越しでしたか。お皈りが大変お早かったこと」
 飯尾さんはこんなことを云いながら紀久子の淹れた茶をちょっとおし頂くようにして飲んだ。またこのひとの探索癖が出たな、と紀久子は黙っていた。すると、飯尾さんは詰った煙管に気をとられたような風つきで火箸で雁首を掃除しはじめたが、今日は都合よく花屋にいい桔梗がありましてね、お母様は桔梗がお好きでしたから早速お上げしてまいりました、と何気なく話をそらした。
「それあ、母様およろこびでしょう」
 云いながら紀久子はふと、さっきの姉の話を飯尾さんにきかせてやってもいいような気になった。母にもつ感情の近さを飯尾さんに感じたからである。いま、母の話が出たので紀久子は思いがけずそれに気付いた。何かしら、姉からきいた話を飯尾さんに告げ口してやりたいような甘えかかった気もちが心の中に動いている。早く早く、とそれが急き立てる。どうせ知れる話なんだから――こう思ったので、
「そうそう飯尾さんにお話しようと思っていたけど」
 と切り出すと、火鉢へ屈んで煙草に火をつけていた飯尾さんは心もち緊張した面もちで眼をそばめるようにして紀久子を見あげた。その眼つきは母の癖であった。どういうものか、母が亡くなってから飯尾さんには母に似たものが出てきた。その立居、物
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