それで税金の方は誤魔化そうとしているし、町会さ当選した時だって、酒こ[#「こ」に傍点]二升しか買わねえってな。あそこのお母さん、漬物《がっこ》もってきたきりで『これで飲んでたんえ』って言ったとさ。『もう、こりごりだ』って、便利屋の爺ちゃ[#「ちゃ」に傍点]言ってたぜ」
「便利屋か。何んと、あれだば一斗あずけたって『もう、こりごりだ』べしちえ」
みんな一様に笑った。
「何んと、賑かだこと」
戸籍係りの飯塚時二郎が硝子戸を鳴らして入ってきた。鏡に顔を寄せて、顰めたり口を引き伸ばしたりして見ていたが、
「年とったせいか、皺がふえたなあ」
と独り言を言った。
「髭こ[#「こ」に傍点]あたるしか」
親方が立ち上った。
「この顔なら、あたってもあたらなくても同じだからなあ。まあ、一服さしてくれや」
「お前《めえ》みてえな色男が今からそんなこと言ってるこったら、親方あ店じまいだよ。なあ」
畳屋が抗議した。
「それに、お高さんは出てきたしな」
指物屋が付け足した。
「何、お高さんがどうしたって」
時二郎は鋭く決めつけた。「な、あんまり、冷やかすもんでねえ。お高さんは収入役の出戻り娘なきりだ。未練も何もあったもんか、身重女にせえ」
「豪そうに、いきり立っているけんど、お前、お高さんさ首ったけじゃねえか。近頃な、ひどく菅原さんさ胡麻こ[#「こ」に傍点]擂ってるって評判だぜ」
指物屋は敗けていなかった。
「さっきな、裏小路の富に会ったら、山帰りに、柳屋先生と仙太さんが一緒に下りてきて話しこ[#「こ」に傍点]はずんでいたとよ。半月も経たねえ内に元の鞘さ納まるして。お前《め》がた、なにも知らねえで、蔭口きくのやめでけれであ」
畳屋が押えた。みんなは少時|白《しら》けた気分で、おし黙った。
床屋の親方が、みんなの気を引き立てるような弾んだ調子で、お高へ話をもっていった。みんなも釣られて、はずみ立った。
「どっちの方にも文句はあるべどもな。事の起りは、これさ」
親方は指で丸をつくってみせた。
みんなの意見はまちまちであった。県下に木材工場をもっているお高の伯父が、その工場を拡張するにあたって、あぶらやから一万円無期限無利子で借りたことがある。その工場がこの不景気で危くなったときいて、あぶらやでは急《せ》きはじめた。すぐ返済してくれ、さもなければ裁判にかけると威かしたという。そんなことから、お高の父親は肚を立てて、お高を連れ戻した――と、これは畳屋の話である。
「いやあ、その県下の工場へは、菅原さんが出したって話だがね。そいつがどうも、保険料を融通したんで、その埋合せをあぶらやに頼んだところが、約束ばかりでね。さっぱり金の面《つら》こ[#「こ」に傍点]をみせてくれねえもんで、菅原さん、肚たてたんだな。肚立てるのも無理がないさ」
戸籍係りの時二郎が物識り顔で言った。みんなは、どっちにも信をおきかねたが、菅原と同じ役場に勤めているという訳からも、時二郎の言葉の方を重く聴いた。
お高の父親の菅原孫市は、役場の収入役を勤めるかたわら、保険会社の代理店をも引きうけていた。これ迄も、使い込みがばれて、会社との間にいざこざがあったけれども、その都度、町長が仲に入って、取り纏めてきたという噂も立っていた。
つまった煙管を真っ赤になって吹き通していた親方は、吻っとひと息いれて、
「可哀相なのはお高さんだなあ。あんな縹緻《きりょう》よしがさ。どうだ、時さん、ひとつ、あたってみないかい」
「駄目だってこと」
「でも、お高さんが好いていたら、どうするえ」
時二郎は黙った。
「やっぱりな」
親方は頷いた。
硝子戸が音を立てて開き、急に冷たい風が流れこんできた。黒が入って来た。そのあとから仙太がのっそりと入って来た。みんなはしんとして仙太の顔を見た。眼ばかりが大きく、異様に光ってみえた。
「今晩は、皆お揃いで」
そして、ちらと時二郎を見たが、気にもとめずに鏡の前に坐った。
「親方、髭あたってけれ」
親方はポンポン、と囲炉裏に火を落して、煙を鼻からふうっと吹いた。
「寒くなったしなあ」
明らかにうろたえていた。畳屋と他の二人は仕事が残っているからとて出て行った。指物屋は床屋の長男と将棋をさし出した。時二郎は新聞を見ていたが「おばこ節」を鼻唄で唄っていた。
「なんと、黒の大きくなったこと」
親方は剃刀を研ぎながら黒を見た。そして、湯をとりに奥へ入っていった。
仙太は据った眼付きで鏡をみていた。辺《あたり》の何物にも気が届かぬふうである。
ひとわたり剃りが終った時、親方はまた剃刀を研いだ。
「親方、わしとこに、県下から買ってきた西洋剃刀あるけど、日本剃刀とどっちの方が好く切れるべがな」
鏡の中で、仙太がきいた。
「そ、それあ、西洋剃刀でしょう。が使い慣れないと怪我するでね」
時二郎が大きく欠伸して出て行った。
「なんか、面白い話でもあったんか?」
「今朝の新聞の心中ものを読んでいたところでして」
親方はぎごちなく笑った。そして、研ぎ上った剃刀を頭へあてがい切れ味を試した。
外は風がまだやまなかった。硝子戸が激しく鳴っていた。
仙太は、冷えた湯で顔をなでられるごとに口をきつく結んだ。
「一服していったら」
仙太が立上り、前をはたくと、親方は炉端の煙管を取りあげた。
黒はむっくり起きて、主人に跟いて出て行った。
「仙太さんも変ってきたなあ」
と親方は、煙草を詰めながら独りごちた。
雨は降らなかった。風は闇の中に烈しく音を立てていた。一里はなれた線路を走る汽車の汽笛が微かに懐えてきこえた。
墓地は暗く、椎の木が苦しげにうめき叫んでいた。
仙太は立ったなり何度も燐寸を擦った。
「坐ったらいいのに……」
お高はうずくまって、袂を屏風にしてやった。
「寒くないかい」
「それよか、人に見られるといけないから、もう少し小っちゃくなったら」
仙太はくすん、と笑って、肩を屈めるようにしてお高に寄り添うた。
「駄目だ」
莨を足で踏みにじって、いっ時、息を呑むようにしていたが、思いきって尋ねた。
「この前、遅くなって、なんとも言われなかったか」
「うん、何にも。でも、知ってて知らんふりしているかも知れないけど……」
仙太の気持はだんだん落ち付いてきた。そして、その後の出来事をずっと話した。父親は、自分の出様によっては、我を折ってくれる見込みも立っているけれど、母親がどうしても意地になっていて、承知しそうもない。「金で嫁を買ったんじゃあない」と頑張るのだ。――仙太は眼を伏せて言った。お高も眼を伏せてきいた。――二人の仲は、県下の学校に行っている時からのものだから、無論その愛は純潔で、何ら非難を受くべきでない。しかし、事がこう面倒になってきては、全く手の施しようもない。意地を張っている俺《おら》方の母親も分らず屋だが、犬っころみたいにお前を連れ帰ったお父さんも少し短気すぎる。でも、柳屋先生が元通りに納めてみせるって、今日も言っていたし、自分は何度も何度も頼んでおいたから、きっと万事旨くいくだろう。先生は、自分を役場の方へも世話してくれる積りだ。二人で別居して、水入らずの家をもて、と迄言って下さった。――仙太はこう言って、お高の手を握り締めた。お高は、握られないほうの手で、仙太の手をさすった。
「あんたは、山へばかり行ってるって?」
と、お高は小さい声できいた。
「ああ、昼間は家にいるのが辛いんだ。お父やお母とは気持がしっくりせんしな。それに、町を歩いていても、町の人はみんな変な眼で俺を見る。今もな、床屋さ行って髭剃ってきたが、俺が、入って行ったら、みんな帰ってしまうんだ。皆が皆、この俺を白い眼で見る。すると、俺は、何敗けてなるもんか、という気になってくる。今の俺にはお前さえあれあなあ。お前さえ俺を信じていてくれれあ千人力だ。世間の奴等糞くらえだ。それに先生だって付いててくれるもんなあ」
お高は仙太の顔へ手をやった。
「ほんとに、きれい!」
「お前に逢うためによ。床屋の親方、どんな気持ちで剃刀あてたかな」
仙太は低く笑った。そして、お高を強く抱擁した。
急に二人は風が歇《や》んだと思った。併し、それは、黒がいつのまにか二人の傍に来ていたのだった。
「黒じゃないの。よしよし」
お高は頭を撫でてやった。黒はクンクン、鼻をならして、その手を舐めまわした。
仙太は話を続けた。それにしても、こうして別々にいると一日一日がとても苦痛でやりきれない。互の思いが変らないとしても、これでは、変っていると同じではないか。柳屋先生に頼んでも、どうも廻りくどくて待ち切れない。どうだ、いっそのこと、これから自分の家へ行かないか。二人で親に頼みこんでみよう。何んぼなんでも子であり、孫をみようというのに、二人さえしっかり離れないでいれば、そう因業なことも言うまい。――仙太はだんだん熱してきた。――親同志のことは先生にまかせることにしよう。それでもとやかく言うなら二人で逃げてもいいじゃないか。東京へでも行ってしまおう。
お高は昂奮してくる仙太の息づかいを、じっと窺っていた。
「でも、この体ではねえ」
お高は溜息をついた。
「それよか、いっそ柳屋先生のとこへ行って、親どうしに来てもらって、話を決めてしまったら」
「そうだ」
と、仙太は弾み立った。お高は抑えて、
「きょうはお父さんが役場の用で県下へ行って、終列車で帰ることになっているもの、明日《あす》にしたら……」
「いや、今日にしよう。これから行くことにしよう。二人の生き死にの問題じゃないか。直ぐ行こう」
仙太は立ち上った。
町に着いた馬車の喇叭が風の中に震えてきこえた。
「お父さんが帰ってきたかもしれない……」
お高はもう一度悠っくり考えたかった。不調に終った場合を想像すると、どうしても仙太の疾る心を抑えつけたかった。しかし、一途な仙太の激しい気性を知っていたから、もう、どうしようもないと諦めて、つられて歩きはじめた。
二人は揃って墓地を出た。真っ暗だった。
「いいじゃないか、夫婦だもの」
仙太はどうしても離ればなれに歩くのに反対した。そして、突然、つよくお高を抱きしめた。
「あえ、この人ったら! だれか見てるして」
お高は、一息ひと息に途切らして、ようよう、こう囁いた。
道には誰もいなかった。けれど、お高は俯向きに、裾をおさえて、仙太よりも少し遅れて歩いた。
黒は二人の先を行った。
柳屋先生宅での会談は、不調に終った。
先生のはからいから、若い者には先に帰ってもらって、親どうしの話し合いであった。
お高の父親の菅原孫市の言い分はこうである。
「世間では、娘と金を引き換えだなんて言ってる人もあるようですが、わしだって、この町の収入役をしているくらいの人間だし、そんな人身御供みたいな真似をしたわけでもねえです。最初から当人同志が惚れ合った仲だし、むしろ喜んでるですが、それとこれとは違って、あぶらやさんがあれだけ堅く約束した貸金のことは、恥をさらすようなものですが、此方もせっぱ詰った揚句のことで、それすら実行して呉れねえとなると、将来親戚としてつき合っていけるかどうか心細くなるし、いっそのこと、今の内にと、引き取ったわけでしてな」
仙太の父親は、こう受ける。
「それについては、手前の方からお話しねば分らねえです。先達も、先生さお話申したような訳でして、お高さんを金で買ったでもねえし、また家さ金のなる木を植えてるわけでもねえし、何んとか遣り繰り算段して、その内に、利子だけは負けにして融通しようと思っていたですが、何んせえこの頃の不景気じゃあ店は売れねえし、貸金は利子も入らねえ始末でして……それを無理にこうしろ、しなければお高さんを連れて行くっていうのはあんまりな仕打ちで……」
「そんなに金に困ってる人が、先々月県下の木工会社さ五千円も貸し付けたって話ですが、あぶらやさんは話はうまいが、利子生まねえ金あ持ってねえとみえて……先生、まあ聞いて下さい。人にも話せねえことです
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