した口あたりが殊によい、梅干は古いほどよかった。良人の役所の小使が宝のようにしていたという明治二十六年漬の梅干を拝むように頼んで分けてもらったのが今でも大事に納ってある。いつだったか近所に火事があったとき、良人がこの梅干の小壺を抱えてうろうろしていた恰好があとあとまで笑い種《ぐさ》になった。
土鍋一つで清子がいろいろなお粥をこしらえるものだから良人は清子のことを「粥ばば」と言ってからかったものだった。手入らずのお金《あし》かからずだとて、客をもてなすにも清子のお粥である。良人はよくこう冷やかした。
「役所が馘になったらお前さんにお粥屋をはじめてもらうよ。粥清《かゆせい》とでも看板をあげるか。いかに何んでも粥ばばではね、色気がなさすぎる」
自分の思いつきに独りでクスクス笑うのだった。こんなことも附けたした。「そしたら憚りながら俺は手ぶらで食わせてもらうよ」
清子も負けてはいなかった。
「どういたしまして。そうなったら旦那さまには前掛けをさせてお米とぎから火おこし、それから出前持ちをして頂きますわ」
「おやおや、女房の煙管で亭王こき使われかい」
「煙管どころか、わたし算盤で大忙しよ」
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