たおしもは、夫人のその涙に気がついて、不意にわっと声をたてて泣いた。
「化粧が落ちる」
 唐沢氏は苦笑をして、席を外した。
 祝儀がすむと、若夫婦は、尾久の安藤の家へ引きあげた。
 唐沢氏は不機嫌な顔を誇張して、「疲れた」をくりかえし、直ぐに寝室へ入った。茶の間に独りとり残された老夫人は、火鉢の灰を掻きなでながら、何かほっとした気分であった。重荷を下したような気軽さである。けれど、これからの不機嫌な良人の表情を思い描いては心も愉しまないのである。
 唐沢氏は骨董いじりに執心するようになった。おしもの去ったあとのこの四、五日は、奥の居間に籠りきって、床の間にすえた例の仏像を倦かず眺めている。朝と午後とに、新らしくきた女中のお梅に茶をもたせてやるのだが、声をかけても気のつかない容子だという。毎日、出社して帰宅することには変りはないのだが、前のようには無駄口もきかず、慶太郎が冗談を云いかけても、うるさそうに手で払いのける恰好をする。そして、前かがみにせかせかと居間へ戻って行くうしろ姿には、いかにも老いがあらわに見えて、母子のものは思わず眼を見合せるのだった。
 或る夜のこと、めずらしく唐沢氏
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