てからは心も急くから、と園子も手伝って、毎日のようにおしもをつれてはデパートヘ出かける。あまり粗末なことでは、故郷から出てくる両親の恥になるだろう、と心をつかって、箪笥に鏡台、寝具一切をとり揃えてやる。そんな忙しい或る午後のこと、出入りの呉服屋が染めあげてきた小菊模様の錦紗の羽織を、老夫人がおしもの肩へかけさせて見とれているところへ唐沢氏が入ってきた。
「何んだ、それおしもの着類か」
 立ったなり眺めている。
「少し、地味でしょうかしら?」
 老夫人が窺うように見あげると、唐沢氏は眼をそらして、
「贅沢なものを……」
 と不機嫌に呟いて、部屋を出て行った。
 呉服屋が帰ると、老夫人は唐沢氏の居間へ呼ばれた。
「女中風情に、錦紗は過ぎている。身分を考えなさい」
 唐沢氏はきめつけるような口調で云った。
「錦紗といっても、あれが一枚っきりですし、嫁にいくのに余り……」
「いいや、儂は、この間からのお祭さわぎが気にいらんのだ。それに、金も、かけ過ぎて居る」
 云うて、唐沢氏は庭の方へ眼をやった。とりすがるすべのないよそよそしい容子である。老夫人は手をついて聞いていた姿勢をそのまま、じっと考えていた。やがて、徐かに顔をあげて良人を視た。
「どんなにお叱りをうけましても、こんどのことだけは通させて頂きます」
 云って、徐かに座を立った。
 良人の非行を自分の落ち度に考える夫人は、おしもを穢してしまったことの申し訳なさから、自分に許される精いっぱいの償いをしたいのだった。この夫人の気心を解さぬ唐沢氏は、ただ、いちがいにこの騒ぎをくだらぬものに思うのである。夫人や園子が自分事のようにおしもを世話しているのも不快なことだったし、何にもまして、無駄な費《つい》えが気にいらないのだった。
 故郷《くに》から両親や親類のものが出てきて、祝儀の当日になった。奥の座敷に金屏風を立てて仮の式場にあてた。高島田に園子の嫁入衣裳を借り着したおしもは嬉しさからすっかり上気《のぼせ》てしまって、廊下のあたりや勝手元をうろうろ歩きまわったりした。盃事の初まる前に、両親に伴われたおしもが更めて主人夫婦のもとへ挨拶に出た。
「いろいろと御世話様になりまして」
 両親の辞儀をするのをみて、おしもも手をついて、しとやかに頭を垂れた。
「わたし共こそお世話になりました」
 云うて老夫人はそっと眼を抑えた。顔をあげたおしもは、夫人のその涙に気がついて、不意にわっと声をたてて泣いた。
「化粧が落ちる」
 唐沢氏は苦笑をして、席を外した。
 祝儀がすむと、若夫婦は、尾久の安藤の家へ引きあげた。
 唐沢氏は不機嫌な顔を誇張して、「疲れた」をくりかえし、直ぐに寝室へ入った。茶の間に独りとり残された老夫人は、火鉢の灰を掻きなでながら、何かほっとした気分であった。重荷を下したような気軽さである。けれど、これからの不機嫌な良人の表情を思い描いては心も愉しまないのである。
 唐沢氏は骨董いじりに執心するようになった。おしもの去ったあとのこの四、五日は、奥の居間に籠りきって、床の間にすえた例の仏像を倦かず眺めている。朝と午後とに、新らしくきた女中のお梅に茶をもたせてやるのだが、声をかけても気のつかない容子だという。毎日、出社して帰宅することには変りはないのだが、前のようには無駄口もきかず、慶太郎が冗談を云いかけても、うるさそうに手で払いのける恰好をする。そして、前かがみにせかせかと居間へ戻って行くうしろ姿には、いかにも老いがあらわに見えて、母子のものは思わず眼を見合せるのだった。
 或る夜のこと、めずらしく唐沢氏が骨董漁りに出かけたあとで、慶太郎がにやにや笑いながら茶の間へ入ってきた。母に寄り添うて炬燵へ足をいれながら、
「お母さん、おもしろいもの見せてあげましょうか」
 云いながら、懐から一通の封書をとり出した。
「今朝、出がけに郵便受けをのぞいてみたら、これが残ってたんですよ。いいですか、僕、読みますよ」
 慶太郎は、花模様の便箋を開いて、生真面目な表情をつくって読み初めた。
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「おなつかしき旦那さま
その後お変りもいらっしゃいませんでしょうか? あけくれ、旦那さまのお身の上を思っては涙を流して居ります。あんなにおやさしく御親切にして頂きましたことは、死んでも忘れられません。思い出しますたびに胸がチクチク痛みます。いつぞや、買って頂きましたルビーのゆびわもはだ身から離しません。旦那さまとは、もう、たびたびお目にかかれませんから、このゆびわを旦那さまだと思って眺めています。この切なさ、どうかお察し下さいませ。
主人は大変に私を可愛がって下さいますが、何んだかもの足らなくてなりません。ああ! 旦那さまのお傍にいたらどんなに仕合せかしら、とただただそればかり思われます。

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