は何んと視て、笑ったのだろう。これまで、良人の情事を慶太郎へだけはひた秘《かく》しに秘してきただけに、夫人は今をとりかえしのつかぬことに思い、それを見せたのが自分の所為《せい》のように愧入った。ふと、夫人は、息子の眼を防ぎ止めることに躍起になっている自分が、実は、それにかずけて良人を護っているのではなかろうか、と疑う。永い間、良人の情事を自分の落ち度にして、人の眼を怖れ憚かってきた夫人には、今では、良人を背に庇うことがひとつの仕癖になっている。良人に愛情をもっているからというよりは、そうすることが妻のつとめだと信じている。子供の頃に、放蕩の父を扱う母の態度を見覚えているので、それを習おうとする心が、いつか、自分をその頃の母に仕立てあげている。けれど、その心を良しとし、それに準じたつもりの自分が、時に、お面でもかぶっているようなよそよそしさで眺められてくる。そして、因襲に馴された自分の、これが仮装の一生か、と夫人は暗い思いに閉されるのだった。

     二

 おしもが唐沢氏の寵をうけていたということは、老夫人の伊予子にとっては全く思い設けぬことであった。これまで唐沢氏の関りをつけてきた婦人がどれもそれ者[#「それ者」に傍点]であっただけに、おしもと気付いた夫人の愕きは大きかった。不意に、足元から火が燃えたったような遽しい心になって、おろおろと取り乱している自分に気付く。そのくせ、意地悪く澄んだ監視の眼が、おしもの立居を見のがさじと追うている。十九にしては大ぶりな体つきのおしもは、ぼってりと盛りあがった乳房が割烹着の上からあらわな形をみせて、それが、俯向いて息忙しく雑巾がけなどをするたびに、ブリブリとゆれてみえる。老夫人には、そのさまが何んともいえず厭らしく動物的なものに感じられる。顔をそむけ、唾を吐きたいような衝動に駆られる。けれど、不思議に眼だけがおしもの体を離れようとはせず、知らず知らずに八つ口から入った手が萎びたわが乳房を探り、骨々したわが胸を撫でてみる。そして、「老齢《とし》には勝てない」としみじみ自分へ云いきかせ、諦めさせようとするのだが、眼の前の活々《いきいき》としたおしもの体へ視線がいくと、不意に激しい妬心が頭をもたげてきて、それを圧し殺そうとする心から、夫人は常よりも穏やかな口調で、
「ほれ、そこに塵が残っていますよ。もういちど拭きなおして下さい」
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