値切らずにはおかなかったからである。まったくぎんは値切ることにかけては名人だった。ちょいした瑕やあら[#「あら」に傍点]を見付けては、国訛りのぼっそりとした調子で「負けれせ」というのが口癖なのである。あの「負けれせ」に会っちゃ敵わねい、と物売り達は投げるように手を振って、ぎんが買い出しに来る頃合いをみて「本日は負からずデー」と張紙などして、からかったりした。
ぎんは器用なたち[#「たち」に傍点]だったので、大抵の繕い物は自分の手でした。傘の張換えだの骨の折れなどを雑作なくなおした。それから鍋や薬鑵などのイカケもすれば、瀬戸物の毀れを接ぎ合せることも出来た。
主人夫婦はこうしたぎんの始末振りをひどく気に入っていた。非常時の折から物品愛護のよい手本だと賞めた。ぎんはニコニコ笑っていた。主人夫婦の言葉は、なんでも有難かった。ぎんにとっては主人夫婦はただただ無類の結構人だった。
旦那様のほうは中風の気味で臥せがちだったが、せっかちの口やかまし屋で、しょっちゅう小言ばかり云っていた。そのうえ手に負えない癇性で、畳に顔をこすりつけるほどにして調べてはササクレをいちいちつまみとらせたりする。奥
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