いて、今は堺のほうの旅館で働いているということまで分った。子供はどこに預けておいたのか、間もなく男が引き取って来た。ようようつかまり歩きをし出したばかりの男の子で、俊雄と呼ばれていた。
男が大酒飲みだということもだんだん分った。酒癖が悪くて喚き出すと手に負えなかった。三白の眼をすえ「馬面《うまづら》」、とか「シャグマ」とかいって、ぎんを呼びたてるのだった。小間物の行商もとかく怠けがちだったが、そのうちどこで仕入れるのか信州綿というのに肩代りした。こんどの行商は気骨が折れる、一軒一軒で口上だからと、捨吉は不機嫌だった。玄関に上りこむなり荷をひろげて、山繭の屑糸からとれた丈夫な絹綿だと云い、足でふんづけたり手綱によじってみせたりして、「これこの通り!」と買手へ請合顔して見せるのだった。綿の中味は人絹屑の加工物をつかい、どうせ知れたまやかしものであった。どこで手に入れたのか、知名の人の名刺を勿体ぶって財布から取り出して見せ、こんなに支持してもらっているからと、買手の度胆を抜いてかかる。名刺には子爵男爵と肩書のついたのもあった。それほど儲けにもならず、寝食いの日が多かった。
工場の友だちが
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