頃、工場には女工たちのために三棟の寄宿舎が出来ていた。外出しにくいので、しぜん行商人が入り込む。捨吉は小間物類一切から下駄草履のようなものまでつづらに詰めては商いに来る。色の浅黒い三白眼の、ちょっと小粋なところのある男だった。広島弁で面白いことを云っては笑わせる。自転車につづらをつけた捨吉の姿が通りに見え出すと、女工たちは窓から乗り出したり手を振ったりしてキイキイ声を張り上げる。なかなかの人気だった。
この捨吉が、ぎんへはこっそりと並ならぬ優しさを見せるのである。毛ピンやネットのようなものを負けてくれたりハイカラな文化草履を卸値で分けてくれたりする。ぎんの手足を綺麗だとほめて顔が火照るほど嬉しがらせたりした。
或る日、非番でぎんが寝転んでいるところへ、つづらの捨吉が入って来た。部屋の者が出はらっているのを見て、あんたにだけ聞いてもらいたい話がある、と声を低めて、身の上話をはじめた。自分ほど不幸な男はいない、子供の頃ふた親に死別して、因業な伯父夫婦にこき使われた。女房運が悪くって、最初のには逃げられるし、二度目はそり[#「そり」に傍点]が合わなくて別れるし、三度目のにはつい先達て死な
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