びにぎんは悩ましくって溜息が出る。そんなとき、無性に、寺島捨吉が慕わしかった。
ぎんがこの小間物行商人と馴れ染めたのはレース工場にいたときのことである。大阪にあるその工場の女工になったのは十八の齢であった。北秋田の潟に近い小さな町でぎんは生れた。父親は町役場の小使をつとめ、母親は水汲み下女だった。ぎんは小学校を中途でやめさせられて校長先生の家へ子守りにやられた。
校長先生には「赤髭コ」という諢名がついていた。寒中でも真っ裸になって井戸端で水をかぶる人だった。赤ん坊をおぶったぎんが学校へ遊びに行くと、子供たちが寄ってきて、こんな悪口を云うのだった。
「お前《めえ》とこの赤髭コな、けさ、髭コの先さタロッペ(つらら)下げてきたど。」
そして「赤髭コ、赤髭コ、髭コのタロッペ塩辛《しょっぺえ》ってな。」とはやしたて、雪の中をどこまでも追いかけてくるのだった。
夏になると校長先生の庭にはいろいろな花が咲いた。おいらん草だの百日草だの雛菊だのが咲き盛るのだった。校長先生は越中に腹巻といういでたちで、暇さえあれば草花の手入だった。コスモスの花時になると、子供等が垣根に背伸びして、よくとりにきた
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