値切らずにはおかなかったからである。まったくぎんは値切ることにかけては名人だった。ちょいした瑕やあら[#「あら」に傍点]を見付けては、国訛りのぼっそりとした調子で「負けれせ」というのが口癖なのである。あの「負けれせ」に会っちゃ敵わねい、と物売り達は投げるように手を振って、ぎんが買い出しに来る頃合いをみて「本日は負からずデー」と張紙などして、からかったりした。
ぎんは器用なたち[#「たち」に傍点]だったので、大抵の繕い物は自分の手でした。傘の張換えだの骨の折れなどを雑作なくなおした。それから鍋や薬鑵などのイカケもすれば、瀬戸物の毀れを接ぎ合せることも出来た。
主人夫婦はこうしたぎんの始末振りをひどく気に入っていた。非常時の折から物品愛護のよい手本だと賞めた。ぎんはニコニコ笑っていた。主人夫婦の言葉は、なんでも有難かった。ぎんにとっては主人夫婦はただただ無類の結構人だった。
旦那様のほうは中風の気味で臥せがちだったが、せっかちの口やかまし屋で、しょっちゅう小言ばかり云っていた。そのうえ手に負えない癇性で、畳に顔をこすりつけるほどにして調べてはササクレをいちいちつまみとらせたりする。奥様は信心深くて念珠を手から離したことがない。慈悲の心に篤く、申し分なく優しい人柄だったけれど、出入りの者たちは「けちんぼう」だと蔭口をきいていた。情をかけるにも口だけで、一向に喜捨をしたためしがない。奥様自身は、まことさえあれば仏様の御心に通じるものだからと云い慣わして、人へ恵むということをあまり喜ばない。お貰い物が殊のほか好きで、それへ熨斗紙を掛けかえたりしては他家への遣い物にしたり、あれこれとひとりで忙しがっている。ぎんには主人の云うことなすことが、みんな尤もだった。そして、この吝嗇な奥様と根っから始末屋の女中はよく気が合って、いよいよ物おしみするのだった。
ぎんの一日は目まぐるしかった。内のことも外のことも一人で取り仕切らなければならない。年寄り夫婦の用事はひっきりなしだったし、店の娘たちの世話もやけた。それに品物の受け渡しや厄介な帳づけの仕事がある。ミシンの請負からあがる利益で主人夫婦はたっぷりと暮し、貯金も出来るというのでほくほくだった。
近所では働き者のぎんのことが評判である。あたりやさんではいい女中を当てたものだと、羨ましがった。あんなに扱き使って八円の給金じゃあ因業
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