をすると、女はこれは私の精をこめて織ったものだから三百両であったら売ってもよいという。町の大店の旦那様の処へ行くと、大そう喜んで家の宝にするとて言い値で買い取ってくれたので、男は驚いて大金を持って帰って来た。そして、この織物のおかげで、ひどく裕福に暮せるようになった。或る夜、その女が云うには、娘ももう食べ物をやっておけば大丈夫だから私に暇をくれろという。男は驚いて何して今頃そんなことを云うのかと尋ねると、これまで私もずいぶん稼いだけれど今では精も根もつきはてたから元の性に還りたい。実は私はいつぞやお前に助けられた鴻の鳥である。なぞにかして御恩返しをしたいと思って私の代りに一人娘を残して行く。そして、あの機を織る時、私の体の毛はみんな抜いて織ったので今ではこのようになったというて、赤裸になった体をみせ、わずかに残っている風切羽で山のほうへばさばさと飛んで行った。
今年四十二歳のぎんは、この昔話をきいた晩、泣けて仕様がなかった。枕につっ伏して声をしのんで、ながいこと泣いていた。
ぎんがこの「あたりや」に女中奉公してから、もう、十年あまりになる。「あたりや」もこの六本木通りでは相当に名のきこえた唐物屋だったけれど、ここ数年来輸入物の仕入れがむずかしくなったところから、とかく商いも不如意がちになり、それかといって今さら軍手や割烹着類を店ざらしにするような小商人になり下がるくらいならと依怙地な老主人は店を閉ざしてしまったが、今ではその店内にぎっしりとミシンをならべて、ぎんが頭になって請負のミシン作業に精を出している。ほんの手内職のつもりではじめたことが、いつのまにか本職になってしまった。この家の一人娘の遺品だという古ミシンをつかって、片手間に近所の人たちの簡単服だのエプロンだのの賃仕事をしているうちに、出入りのクリーニング屋から話がついて、衛生服や医務服の下請をするようになった。ぎん一人では手もまわりかねるので、中古を買いこんだり賃借りをしたり、いまは通いの娘たちも汗みずくの忙しさである。
年寄りの主人夫婦から一切をまかされているぎんは、ミシンにばかりかかりつめているわけにはいかない。年寄りが喜びそうな惣菜をこしらえたり、お針をしたり、洗濯をしたり、鼠捕りをしかけたり、市場へ買い出しに行ったり……。市場で、ぎんは「負けれせ」という呼び名で通っていた。ひね生姜一つ買うにも
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