すぎると、主人夫婦を悪く云うものもあった。
ぎんはニコニコして働いていた。頬骨の出た釣り眼の長顔なので、黙っているとひどくこわい険のある顔にみえる。これを苦にやんで、始終ニコニコとほぐしていた。娘のころチブスにかかって髪が生えかわってからチリチリの縮れっ毛になってしまった。それをひっつめて、うしろにお団子にしている。右肩が怒っていて、ちっと片輪にみえたが、これはレース工場にいたとき機械の片側調べを長年していたからで、今ではその肩をわざと落して癖づけようとしてもなおらなかった。奥様のお下りの盲縞でこしらえた上っ張りを年中着ていた。朝晩はその上から襷をかけ、大きな前掛で腰をひっくくった。誰もまだぎんの齢を云いあてたものがいない。しかし、誰れの見当も五十から六十の間ということで一致した。不思議なほど手足だけが綺麗だった。
通いの娘たちが帰ったあと、ぎんはひとりでミシンの夜業に精を出した。つい十二時すぎまでかかりつめていて、近所から安眠妨害だと文句を云われることもあった。たまに早仕舞いをしたときは銭湯へ行ってゆっくり手足を伸ばしてくるか、隣家の紺屋へ遊びに行って同じ郷《くに》生れの婆様から昔話《ムカシコ》をきくのが、このうえない安楽だった。
台所つづきの三畳間がぎんにあてがわれた寝場所だったが、まるきり陽の目をみないこの小部屋はしょっちゅう黴臭く、壁や畳がジトジトと湿っていた。北向きのたった一つの格子窓からは路地のすぐ向うに紺屋の勝手口が見えた。子沢山のおかみさんが立ち働きづめでキンキン声を張り上げて、ひっきりなしに子供や婆様を叱りつけていた。ぎんが寝るころになって洗濯をはじめることもあった。窓の両側の壁には子供のかいたクレヨンの図画だの、雑誌から切り取った西洋美人の絵だの、新聞の附録の古い一枚カレンダーだの、工場にいたころの友だちと撮した写真などがピンで留めてあった。写真の中の友だちもぎんも眉毛のかくれるほどの大きな束髪に結って、どういうつもりか揃って右手を袂の中に隠していた。
部屋の隅には古行李やボール箱が積み重ねてあった。ひびの入った電燈の花笠や、摘み細工のぼろぼろになった柱懸や、インキ瓶のようなものまで、丁寧に納まってあった。主人から、もう捨ててもいいよと許しの出た物は、なんでもみんな頂戴しておいたのである。
古行李には、ぎんが持物の中でも一番自慢にしてい
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