貰わなくっちゃあ、ねえ」
「八銭というところでしょうかな」
「九銭九銭。中尾さんはお人が良いから駄目よ。きっと一杯奢られたのね」
「一杯は一杯でも、珈琲じゃあねえ」
と、言いざま、中尾は眉をひらいてわっはっは、と笑った。
ちょうど、茶をはこんできた寿女は、何事かと立ちつくしていたが、釣られて、つい貰い笑いをした。
この奥住の家にきてから寿女は、だんだん燥ゃぎ出すようになった。数寄屋町時代の、おどけたことを言うては人を笑わせてばかりいた寿女に戻ったようであった。龍子の弟子たちが稽古をすませて寛いでいるところへ、菓子などをはこんで行って、よく、こんな冗談を言う。
「わたしなんか、生まれつきの、とってもいい声なんですけれどねえ。惜しくって、みんな、この袋の中に納まい込んでありますの」
そして、盛り上った背を得意気にゆすぶってみせたりする。
はじめのころは言葉もかけなかった令嬢たちも、次第にうち解けて、こんな冗談をきくたびにキャッキャッと笑って、「おもしろいせむし[#「せむし」に傍点]さん」だと評判し合った。
寿女は刺繍にかかり詰めるようになった。夜ふけて、ふと眼ざめた龍子が、灯り
前へ
次へ
全69ページ中54ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
矢田 津世子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング