だが、どうも、あれが気が急くとみえて、独り合点で、親元のほうへも、もう手紙を出したとか言っていますが」
と、師匠は言った。
「自分としては良縁だと思っているし、それに何よりも、銀三だったら、あなたを大切にしてくれるだろうと思う。しかし、これを強いて、あなたに勧める気持ちは無い。あなたが真に倖せに生きる道をどこに求めたらいいか、わたしも考えてみたが……まだ、いまは銀三の心をお伝えする役目しかつとまりません」
こう言って、師匠は膝に眼をおとした。
急に寿女が座を立った。息をせいせい言わせて勝手口へ走って行った。
師匠も続いて座を立ったが、敷居のところに立ちつくしたままでいた。
暗い路地にしゃがみこんで、寿女は噎《むせ》び泣いていた。
寿女が加福の家から暇をもらったのは、それから間もなくであった。常から腎臓を患っていた母親が、この日頃、とかく勝れず牀に臥しがちである。そのことを申し訳の言い草にしていた。母親の看取りから頼まれた賃仕事、店の事一切までを寿女は小まめに取りしきった。じっと手を休めていることが無く、始終忙しく何かしていた。店に客の声がしても気の付くふうもなく、縫い物な
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