て尚ひとの徒弟として技を練ることを道と教えられていたが、当今は年季もまだ明けないうちからもう店《たな》出入りのことを考えている。世智辛い世のゆえとは言い条、このような人たちの世に送り出されるのは怖ろしいことだ、粗笨《そほん》な仕事と誰れの眼にも分っていながらも、これがこの節繍の域内を大手振って歩いているのは怖ろしいことだ、と歎かれるのである。
師匠の口から賞め言葉をきくことは滅多になかった。ずっと以前、弘前から繍の道を修めに出京した相馬という人の仕事を稀らしく師匠は賞めたことがあった。この相馬氏も軈て立派に一家をなして業界に重きをなす人となったが、惜しいことに先年病歿されてしまった。業界では「賞めない人」として加福の師匠は通っているし、その烈しいまでの潔癖な眼識を「旋毛曲り」としてみていた。ひとつには、その潔癖さが己れの技へ向ける厳しさとなり、「お店物」を撥じき切る頑なさとなり、なおまた、独りの清貧を守り通してきたそのことにも通じているとみえる。その頑なさ、その片意地な程の潔癖さを世間の眼は「旋毛曲り」とみていた。
師匠のその潔癖さは、そのまま徒弟を孚《はぐく》むうえでの鞭ともなり
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